みなさんどーも!UKです。
今回のマイフェイバリット・チューンは
1967年から1969年にかけて、日本の音楽界にブームを巻き起こした
グループ・サウンズ、以下GS。
今回はそのGS界でも大人気を誇るバンド、そして
ジュリーこと沢田研二が在籍していたバンド
ザ・タイガース
メンバー構成は、写真左から
トッポ リードギター 加橋かつみ
タロー リズムギター 森本太郎
ジュリー リードボーカル 沢田研二
サリー ベース 岸部一徳
ピー ドラムス 瞳みのる
(後期メンバー)
シロー 後期リズムギター 岸部シロー
そのルックスや曲調ゆえ、アイドル性が前面に出るグループとなりましたが
ザ・タイガースと命名される以前に活動していた
「サリーとプレイボーイズ」「ファニーズ」の時代を経て培われた
ビートルズやローリングストーンズを原点としたそのバンドスタイルは
内田裕也からも見出され、デビュー後、
数々のヒット曲を飛ばし続け、人気は爆発していきました。
1971年に解散してからも同窓会コンサートや再結成コンサートも行い
現在でも愛され続けるグループ
ザ・タイガース・マイフェイバリット・チューンでお贈りします。
僕のマリー
1967年ザ・タイガースのデビュー・シングル
僕のマリー
レコーディング時点でのタイトルは「マリーの想い出」。
ヤングミュージックのYK BEST 20ではチャート最高位12位まで上昇。
当時はまだ大ヒットにはなりませんでしたが、今や名曲。
タイガースのみならず、GSクラシックとしての名曲と言えると思います。
ファニーズ(当時のグループ名)がナベプロのオーディションを経て
正式に契約してから、ザ・タイガースと改名し、
次々と階段を登っていく幕開けの曲ですが、
この曲を渡された時のメンバーは、今までの曲との違和感に失望を感じたみたいですね。
シーサイド・バウンド
1967年の2ndシングル
シーサイド・バウンド
燦々と太陽降り注ぐ真夏、若さがみなぎるアゲアゲナンバーですね。
ザ・タイガースといえば一番に思い浮かぶ代表曲ではないでしょうか。
デビュー後、この2ndシングルを出す頃には、タイガース人気は急上昇しており
この「シーサイド・バウンド」は40万枚を超えるヒット曲となりました。
この頃、タイガースのメンバーは同じ家に住んで合宿生活をしていたみたい。
僕も「横道坊主」在籍デビュー当時は、事務所のマンションでメンバー合同生活でした(^^;;
部屋割りは、ひとりだけ「台所」というので
必死の思いで、部屋取りジャンケンをやったのを思い出します。。(結局タンゲが負けてたなぁ笑)
そんな僕の若きアイドル時代??(笑)も思い出すのでした。。
モナリザの微笑
1967年 3rdシングル
モナリザの微笑
ヤングミュージックのランキングでグループ最高位となる1位を獲得。
こういう憂いのある曲調は、当時からジュリーの真骨頂ですね。
子供の時に白黒テレビで聴いた記憶がなんとなく浮かんでくる曲です。
その頃、タイガースはジャズ喫茶でも活躍していましたが
活動の中心はコンサートへ変わり
テレビ等の芸能活動も増えていき
烏山の合宿所では追っかけが数多く訪れ、日常生活にも支障をきたすほどになっていたとか。
人気がドンドン膨れ上がっていく時期の曲ですね。(映像は同窓会コンサートの時の演奏)
君だけに愛を
1968年1月 4枚目のリリースシングル
君だけに愛を
この曲は、オリコンチャート2位まで駆け登り
100万枚を超えるセールスを記録したとされています。
ジュリーが人差し指を指して「君だけに〜!」のあのアクションで
コンサートでは失神者が続出したとか。。(汗)
人気GSバンド「オックス」もそうですが、
グループ・サウンズには「失神」がつきものですね(^^;;
それにしても「鉄は熱いうちに打て」と言いますが
デビューから約3ヶ月おきにNEWシングルをリリースするという
発売のテンポの速さも特徴的。
約2年たらずという短かったGSブームのその時代に、
GSバンドとしての頂点を極めていく事になっていくのです。
銀河のロマンス
1968年3月にリリースした5thシングルは「花の首飾り」の両A面シングル曲
銀河のロマンス
130万枚を超えるセールスを打ち出し、タイガースのシングルでは最大のヒット曲に。
そして、初のオリコンNo.1を獲得。(7週間連続)
甘美でさわやかなメロディのこの曲のソングライトは
作詞 橋本淳 作曲すぎやまこういち
デビュー曲の「僕のマリー」から続く強力コンビですね。
今や「ドラクエ」のゲーム音楽でも有名なすぎやまこういちは、
デビュー前からタイガースに携わり
グループ名「ザ・タイガース」を命名した本人だそう。
すぎやまこういちから若虎をイメージして命名されたそのタイガースは
その後、快進撃を続け
日本武道館でコンサートをした初の日本人音楽グループとなるのでした。
※日本音楽界に数えきれない名曲を生み出したすぎやまこういちさん 2021年9月30日天国へ旅立たれました。ご冥福をお祈りします。
映像は、その日本武道館で撮影された映画
『ザ・タイガース 世界はボクラを待っている』のラストシーンより。
花の首飾り
1968年3月リリースの5thシングル『銀河のロマンス』と両A面曲
花の首飾り
初めてリードヴォーカルをとるトッポこと加橋かつみの
切なくも美しいハイトーンな声が生かされた曲ですね。
作詞 菅原房子 補作なかにし礼。
メルヘンチックな世界感を持つこの歌詞は、
雑誌の「明星」より一般公募され、13万通の応募の中から選ばれた
当時、高校生が書いた作詞だった(菅原房子さん)というのも興味深い。
またこの曲は、BCRのレスリーマッコーエン、高橋真梨子、井上陽水、桑田佳祐、他
数多くのアーティストにカバーされ、その回数は70回にも及ぶとか。
ちなみに、トッポのニックネームの由来は
トッポジージョに似ている事で新宿ACBの支配人から命名されたらしいですね。
青い鳥
1968年12月リリースの8thシングル
青い鳥
この悲しげで美しい曲の作詞作曲は、メンバーの森本太郎。
タローの才能に目をみはる曲ですね。
グループ初の、メンバーによるソングライト曲のリリースとなり
オリコンで最高位4位まで上昇しました。
タローはタイガース解散後、音楽プロデューサーとして活躍したり
あのヒット曲「色つきの女でいてくれよ」の作曲をしたり
1999年以来再結成したタローのバンド森本太郎とスーパースターで活動を続けています。
その森本タローとスーパースターのLIVEでは
僕も銀座のLIVE会場へ駆けつけ、この名曲も披露してくれ
タローの優しい人柄にも触れました。
廃墟の鳩
1968年 ザ・タイガースの7thシングル、
3rdアルバム『ヒューマン・ルネッサンス』に収録された
廃墟の鳩
作詞山上路夫 作曲村井邦彦
トッポこと加橋かつみがリードボーカルをとるこの曲は
オリコン最高位3位を記録。
ビージーズや初期ローリングストーンズを彷彿させる美しいイントロから
「ひとは誰も 悪いことをおぼえすぎたこの世界」と
平和、反戦をテーマにした
当時のラブ&ピースの世相を映し出す歌詞。
そうしたヒッピームーブメント的な要素や芸術的志向を持つトッポでしたが
アイドル的に売り出す渡辺プロへの不満がしだいに積もり
ついに1969年、トッポ脱退。
代わりにサリーの実弟、岸部シローが加わり
ザ・タイガースは第二期を迎える事になるのでした。
色つきの女でいてくれよ
1982年 ザ・タイガースの17thシングル
色つきの女でいてくれよ
1971年に解散したザ・タイガースが、1981年「同窓会」という形で再結成し
リリースした「十年ロマンス」に続くこの曲「色つきの女でいてくれよ」は
TV「コーセー化粧品」のCMで流れていましたね。
作詞 阿久悠、作曲はタローこと森本太郎。
タイガース再結成といえども、この時分ではピーこと瞳みのるは参加しておらず
全メンバーでの再結成を実現したのは2013年でした。
1981年の再結成後、1982年にアルバム「THE TIGERS 1982」をリリースし
3〜4月に行われた日本武道館を中心とする全国主要都市のツアー中に
この曲はザ・ベストテン最高位2位、週間オリコン4位とヒットチャートを賑わせ、
タイガースは再び、TV、CM、写真集と活躍するのでした。
十年ロマンス
1971年に解散したザ・タイガース。
1981年に「同窓会」と銘打ち
ザ・タイガース再結成したその時に(ピーこと瞳みのるは参加していない)リリースしたシングル曲、
十年ロマンス
作詞 阿久悠、作曲 沢田研二。
哀愁のジュリー節炸裂するテンポある歌謡曲、
ジュリーが作曲したというのも興味深いですね。
この同窓会をきっかけに翌年にリリースした「色つきの女でいてくれよ」がヒットしたり
1989年には「紅白歌合戦」に出場したり
「タイガーズメモリアルクラブバンド」「ザ・タイガースマニア」「Tea For Three」などなど
2013年にドラムのピーも含むオリジナルメンバーが再結成されるまで
タイガースの各メンバーは散発的な活動を続けました。(wikipedia参照)
1982年日本武道館での同窓会コンサートからの貴重な映像が
YouTubeでアップされてました。