みなさんどーも!UKです。
アメリカ西海岸発!
1971年 リンダ・ロンシュタットのバック・バンドを経てレコードデビュー。
グレン・フライ、ドン・ヘンリーを中心に作曲した数々の名曲は
次々とレコードセールスを記録し、総売り上げは2億枚を超えたアメリカン・ロック・バンド
EAGLES
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グレン・フライ(ギター・キーボード)
ドン・ヘンリー(ドラム)
ランディ・マイズナー(ベース)
バーニー・レドン(ギター)
の創設メンバーのカントリーテイストの時期から
ドン・フェルダー、ジョー・ウォルシュ加入によりロック色を強めていき
アメリカンロックなサウンドや社会問題に提起するような歌詞等が
ワールドワイドな成功へと繋がり
ロックのレジェンドとしてその名を残した
イーグルス・マイフェイバリット・チューンでお贈りしたいと思います。
目次
呪われた夜 One Of These Nights
1975年 イーグルスの4thアルバム『呪われた夜』からの同名シングル
呪われた夜 One Of These Nights
全米チャート1位、全英チャート23位。
ウエストコーストのニオイとAORの雰囲気漂う曲調、
美しいコーラスワークも特徴的ですね。
リード・ボーカルをとるのはドラマーであり
作詞作曲にも携わるドン・ヘンリー。
歌うドラマーとしても才能あふれ
グレン・フライ(G)と共にイーグルスのほとんどの代表曲を作詞作曲していくのでした。
元々はリンダ・ロンシュタットのバックバンドだったイーグルス。
そこから独立し、デビューした頃はカントリーロックのイメージが強かったのですが
やがてロックやR&B、AORの要素も取り入れ
音楽的幅を広げていくのです。
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ならず者 Desperado
1973年の2ndアルバム『ならず者』より同名タイトル曲
ならず者 Desperado
アルバムからのシングルカットはされませんでしたが
西武開拓時代の情景が映画のように浮かんでくるようなこのミディアムスローナンバー
今や、イーグルスのスタンダードとしてあまりにも名曲ですよね。
ボーカル&作詞はドラムのドン・ヘンリー。
グレン・フライとドン・ヘンリーの名ソングライトチームが
この2ndアルバム『ならず者』から誕生し、
以降、バンドの主導権を握っていくことになります。
僕らのオールディーズ業界からもスタンダードのこの曲、
リンダ・ロンシュタットやカーペンターズ他、
数多くのからアーティストから愛されカバーされる名曲です。
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テイク・イット・イージー Take It Easy
1972年 イーグルスのデビュー曲
テイク・イット・イージー Take It Easy
全米チャート12位、カナダチャート8位。
カントリー色強くストレートで耳馴染みの良い曲調ですね。
1971年、リンダ・ロンシュタットのバックバンドから独立し
彼女の所属するアサイラムレコード会社からイーグルスとしてデビュー。
同じアパートに住んでいたジャクソン・ブラウンとグレン・フライが
共作したこのデビュー曲が、全米でチャート12位となり
イーグルスとして、いきなりヒットを記録することとなりました。
リードボーカルはグレン・フライ。
美しいコーラス、そしてカントリー色をイメージづける
アコギやマンドリン等を使用したバーニー・レドンのプレイも印象的。
タイトルにもなっているサビ「気楽に行こうぜ(Take it easy)」も
ストレートで、大衆ウケする要素だったのでしょう。
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我が愛の史上 Best Of My Life
1974年の3rdアルバム『オン・ザ・ボーダー』からのシングルカット曲
我が愛の至上 Best Of My Life
全米チャート1位、カナダチャート1位、
イーグルス初のNo.1シングルとなり
ビルボードでは1975年の年間チャート12位を記録。
バーニー・レドンのスティールギターが心地よく
穏やかな日曜日に聴きたくなるような、メロウでほのぼの感漂う曲調ですね。
この曲のリードボーカルをとるドン・ヘンリーは
ライブの時はドラムを離れ、アコギを持ってフロントで歌っています。
当初、グレン・フライはこの曲をシングルとしてリリースするのは乗り気ではありませんでしたが
ミシガン州のラジオDJがこの曲をかけまくったのが、リスナーの多大なる反響を呼び
正式にリリースすることになったとか。
しかし、アサイラムレコードはバンドに無許可でイントロをカットして発売した事が
メンバーの反感を買い、回収するという騒ぎもあったそう。
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ホテル・カリフォルニア Hotel California
1977年の5thアルバム『ホテル・カリフォルニア』からの同名シングル
ホテル・カリフォルニア Hotel California
全米チャート1位、カナダチャート1位、全英シングルチャート8位。
カントリー・ロックからアメリカン・ロック・バンドへと大きく進化し
ロック史に金字塔を打ち立てたイーグルスの名曲中の名曲ですね。
作詞、およびリードボーカルはドン・ヘンリー。
架空のホテルを舞台にした詞の世界をハスキーボイスで展開する。
そしてこの曲の目玉と言える印象的なイントロやメロ、
ハイライトとなる後半のギターソロも含め
作曲を担当したのはドン・フェルダー。
カントリー志向だったバーニー・レドンに代わり
ロック色を強めたイーグルスのサウンドに貢献するのでした。
特にジョー・ウォルシュと奏でるラストのツインリードソロ。
そのロック史でも指折りに数えられる空前絶後の
ギターソロは、今聴いても圧巻。
大多数のミュージシャンからはもちろん
ラップやレゲエ等、ジャンルを超えてカバーされる名曲中の名曲ですね。
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テイク・イット・トゥ・ザ・リミット Take It To The Limit
1975年の4thアルバム『呪われた夜』からの3rdシングル
テイク・イット・トゥ・ザ・リミット Take It To The Limit
全米チャート4位、全英チャート12位。
リズムが繊細そうなアメリカンロックバラードですね。
イギリスで12位まで上昇するのは初の快挙、そして
イーグルス初のミリオンセラーシングルとなりました。
リード・ボーカルは
グレン・フライ、ドン・ヘンリーと共にイーグルスの創設初期メンバーである
ベースのランディ・マイズナー。
イーグルスの特徴的な美しいコーラス、特にランディのファルセットボイスはファンの間でも人気でしたが
この曲を歌う時、音を外すとドン・ヘンリーは激しく叱咤したとか。
それが原因で胃潰瘍になったほど、ランディはこの曲を歌うことを嫌がっていたので
それがメンバーと口論となったり、いろんな事が重なり
ランディ・マイズナーは1977年にバンド脱退へとつながっていくのでした。
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言い出せなくて I Can’t Tell You Why
1979年の6thアルバム『ロングラン』より
言い出せなくて I Can’t Tell You Why
全米チャート8位、カナダアダルトコンテンポラリーチャート2位。
AOR調でしっとりとしみ入るようなバラードですね。
ファルセットボイスで歌うリードボーカルは
ベースのランディ・マイズナーの後釜に新加入したティモシー・B・シュミット。
この美しい名曲をドン・ヘンリーとグレン・フライと共に作曲しました。
しかし、この曲を発表して数ヶ月後にイーグルスは解散。
1992年 ティモシーは、リンゴスター&ヒズオールスターバンドにメンバーとして参加し
ツアー中にもこの曲は演奏されました。
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ニュー・キッド・イン・タウン New Kid In Town
1976年 イーグルスの5thアルバム『ホテル・カリフォルニア』からの先行シングル
ニュー・キッド・イン・タウン New Kid In Town
全米、カナダチャート1位、全英チャート20位。
アルバムでは「ホテル・カリフォリニア」の次に入っていた曲で
「ホテル〜」の陰のイメージから陽へと、心洗われるような一曲ですよね。
この曲は、イーグルスの3作目のナンバーワンシングルとなり
グラミー賞最優秀ボーカルアレンジメント賞を受賞。
この曲のリード・ボーカルを務めるグレン・フライは
1970年に出会ったドン・ヘンリーと共に、リンダ・ロンシュタットのバックミュージシャンを務めたのち
1971年にイーグルスを立ち上げた創設者、およびリーダー。
2016年に肺炎などの合併症によりこの世を旅立つまでに、(67歳没)
ドン・ヘンリーと共に作曲した数多くのイーグルスの代表曲を
世界のヒットチャートに送り込みました。
また、イーグルスとしてグラミー賞を6回、アメリカンミュージックアワードを5回受賞するという
偉業を残しました。
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To Be Continued..