ジャクソン5 JACKSON5 名曲 人気ヒット曲 おすすめマイフェイバリット・チューン

 

 

 

 

 

 

 

 

みなさんどーも!UKです。

 

今回のマイフェイバリット・チューンは

USA インディアナ州ゲーリー出身

1966年にバンドを結成し、六男のマイケル・ジャクソンを最年少とした

ジャクソン兄弟が、1969年にモータウンのデビューを果たし

4枚連続でシングルNo.1を獲得。

以来、全米でスーパーアイドルとして白人の人気を集めた初の黒人バンド

 

JACKSON 5

 

 

 

モータウン・デビュー時のジャクソン5は

☆ジャッキー・ジャクソン(長男15歳)

☆ティト・ジャクソン(次男13歳)

☆ジャーメイン・ジャクソン(三男12歳)

☆マーロン・ジャクソン(四男9歳)

☆マイケル・ジャクソン(六男8歳)

 

数々のヒット曲を連発し、スターの地位を掴みますが

のちにモータウンを離れ、エピックへ移籍してからは「ジャクソンズ」と改名、

その兄弟の中でもズバ抜けた才能を発揮し、

ソロ活動へと羽ばたいていくマイケル・ジャクソン。

史上最も成功したエンターテイナーと進化していくマイケルが脱退してからのジャクソンズ人気は低迷し

のちに解散となりましたが、マイケル亡き現在、ジャクソンズは幾度かの再結成を果たしています。

ボーイバンドの先がけ、そして

史上最大の兄弟グループとなったジャクソン5 マイフェイバリット・チューンをお届けします。

 

 

 

 

 

帰ってほしいの  I Want You Back

 

 

 

1969年 ジャクソン5のモータウンからのデビュー・シングル

帰ってほしいの  I Want Your Back

全米チャート1位、全英チャート2位。

ハイトーン・ボイスが気持ちよく、ダンスもやりながらの

マイケルはまだ10歳そこそこ。

そのエンターテイナーぶりには、釘付けにさせられますね。

このデビュー曲からジャクソン5は、4曲連続でチャート1位を獲得し

「モータウン・ソウル」「バブルガム・ソウル」と呼ばれるスタイルの

歌、曲調、サウンド、パフォーマンスに、初めて白人の人気を集めた黒人グループ、

アメリカを代表するスーパーアイドルへと羽ばたきました。

今やこの曲は全世界の名曲となり「1960年代の最も偉大な200曲」で2位を記録しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エイビーシー  ABC

 

 

 

1970年 ジャクソン5のモータウン2ndシングル

エイビーシー  ABC 

全米チャート1位、R&Bチャート1位、全英チャート8位。

ソング・ライティングは、モータウン社長のベリー・ゴーディ・jrをはじめとした

プロデューサー・チーム「ザ・コーポレーション」。

風船ガムのように気軽に口ずさめる曲調ですね。

そういった誰でもが楽しめる音楽ジャンルを「バブルガム・ポップ」と呼び

そこからブラックミュージックと融合させた『バブルガム・ソウル』を生みだす事となりました。

定義はシンプルでキャッチーでポップでソウルフル。

しかし、キャッチーといえども、バック演奏プレイに耳を傾けてみれば

なかなかに難易度の高い演奏力が展開。

「帰ってほしいの」同様、ドラムも結構難しい事やってるし、

曲中に仕掛けも散りばめられてるし、

歌詞がシンプルな分、曲は策を練って凝った曲調にしたのかな。。

「バブルガム・ソウル」は大人も夢中になれる味わいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小さな経験  The Love You Save

 

 

 

1970年 モータウンからの3rdシングル

小さな経験  The Love You Save

全米チャート1位、全英チャート7位。

勢いを感じさせるアゲアゲな曲ですね。

ソングライト&プロデュースの「ザ・コーポレーション」チームの思惑通り

3作目のシングルも、チャート上位に君臨していたビートルズを押しのけ

天下御免の連続No.1を獲得。

スター街道を爆走するジャクソン5の出身はインディアナ州ゲーリー。

労働者階級で育ったジャクソン兄弟は、

「ファルコンズ」というR&Bバンドをやっていた父から

いつも厳しくしつけられ

いつしかその捌け口で父のギターを借り、音楽で発散。

しかし弦が切れていたのを見つけ、子供たちが音楽をやってる事を知った父は

その才能を見い出し、音楽活動をさせる事を決意。

そこからジャクソン5伝説が始まっていくのでした。

ジャクソン兄弟にとっては小さな体験から

未知の大きな体験へと繋がっていくのですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アイル・ビー・ゼア  I’ll Be There

 

 

 

1970年 3rdアルバム『Third Album』からの先行シングル曲

アイル・ビー・ゼア  I’ll Be There

全米チャート1位、全英チャート4位。

デビュー曲の「帰ってほしいの」から4曲連続No.1の快挙を達成。

歌詞の内容は、片想いの女の子に誓う純粋な愛の歌。

それをマイケルは、当時まだ12歳というのに

綺麗なハイトーンで美しく歌いこなす、その天才っぷりには驚くばかりですね。

ジャクソン兄弟の長男ジャッキーと次男ティト

そして、この曲のテナー・ヴォーカルをとる三男ジャーメインで始めたバンドでしたが

六男のマイケル・ジャクソンが、その辺にあったボンゴを叩き出したのがあまりにも上手だったので

バンドへ入れる事に。そのうちマイケルはジェイムス・ブラウンのようなダンスを踊ったりして

そのショーマン・シップや努力っぷりに、兄弟は舌を巻いたみたいですね。

それまでリード・ヴォーカルを担当していたジャーメインがマイケルにバトンを渡したのは

それだけグループが成功する事を確信したのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダンシング・マシーン  Dancing Machine

 

 

 

1974年の8thアルバム『ゲット・イット・トゥゲザー』から

ダンシング・マシーン  Dancing Machine

全米チャート2位。R&Bシングルチャート1位。

マイケルのロボットダンスが神がかってますね。

この曲でロボットダンスが全米で注目を集めたそうですが

ハル・デイヴィスによるソングライト及びプロデュースしたこの曲以降は

セールスが伸び悩み、全米トップ10内のヒット曲はこの曲で最後となりました。

ジャクソン5の新しい試みや、イメージ転換を受け入れてもらえない事が

より大きな成功を阻むと感じた父、ジョセフ。

それに反して、あくまでもアイドル路線で売りたかったモータウン。

ついに、ジャクソン5とジョセフはモータウンを離れ、

新たなレコード会社エピックへと移籍する事となりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

恋はゴキゲン  Enjoy Yourself

 

 

 

1976年 ジャクソン5からジャクソンズに改名してからの

初のアルバム『ザ・ジャクソンズ・ファースト』より1stシングル

恋はゴキゲン  Enjoy Yourself

全米チャート6位、R&Bチャート2位。

軽快で洗練されたポップナンバーですね。

モータウンからエピック・レコードに移籍することになったジャクソン5。

モータウン側は「ジャクソン5」の商標を手放さないので

グループ名を「ジャクソンズ」に改名。

社長ベリー・ゴーディJrの娘と結婚した三男のジャーメイン・ジャクソンは、モータウンに残り

ランディ・ジャクソンと入れ替わり、グループは新たなスタートを切りました。

このNEWアルバムには、スリー・ディグリーズやオージェイズを手がける

フィラデルフィアサウンドの立役者、

ケニー・ギャンブル&レオン・ハフをプロデューサーに迎え

シグマサウンドスタジオで録音されたサウンドは

やはりフィリー・ソウルを感じずにはいられない

流麗で華やかな仕上がりとなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シェイク・ユア・ボディ  Shake Your Body

 

 

 

1978年ジャクソンズになってからの3rdアルバム『Destiny』より

シェイク・ユア・ボディ  Shake Your Body (Down To The Ground)

全米チャート7位、全英シングルチャート4位。

16歳のランディと20歳のマイケルが共同ソングライトしたこの曲、

マイケルがソロへの前身となるサウンドスタイルとオリジナリティを感じる曲ですね。

ギャンブル&ハフがプロデュースした前作のアルバムが不発に終わり

エピックはジャクソンズとの契約を打ち切る事も念頭にあったところに

ジャクソン兄弟は自分たちの作詞、作曲、プロデュースで勝負させてくれとエピックに要求。

与えられたラストチャンスに見事に応え、結果を出したジャクソンズ。

自分たちで作った曲が250万枚売れ、グループ最大のヒット曲を放ったのでした。

アルバムもミリオンセラーとなり

マイケルのポテンシャルは次々へと開花していていくのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今夜はブギーナイト  Blame It On the Boogie

 

 

 

1978年のアルバム『Destiny』より1stシングル

今夜はブギーナイト  Blame It On The Boogie

全米チャート54位。R&Bシングルチャート3位。

キャッチーなメロディでノリのいいダンサブルな曲ですね。

ジャクソンズに初のセルフプロデュースをチャレンジさせたエピック・レコードですが

エピック側も保険がわりにこの曲をアルバムに入れた気がしないでもない気も。。

この時期といえば、マイケルが準主役で演じたミュージカル映画『ウィズ』で知り合った

音楽担当のクインシー・ジョーンズに、ソロアルバムを作るので誰かプロデューサーを

紹介してくれと頼んだら「僕じゃダメかい」というやりとりがあったそう。

そこからクインシーと組んでマイケルジャクソンの伝説が走り出すのですね。

その1年後には、マイケルがソロになってからのあの名盤『オフ・ザ・ウォール』が

誕生するのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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