最後の恋人 【レア映像】
1972年12月
日本フォノグラム(フィリップス・レコード)から華々しくデビューした1stシングル
【ルイジアンナ】のB面曲
最後の恋人
作詞 ジョニー大倉 作曲 矢沢永吉
♪いつかボク 君のもの
Don’t let me down
願いは彼女の言葉さ
Can’t you see♪
ジョニー大倉が発案した英語と日本語をミックスさせた歌詞や
ビートルズのハンブルク時代にインスピレーションを得たリーゼントと革ジャンのスタイルは注目を集め
そのファッションスタイルは
のちのクリームソーダのオーナー山崎眞行氏が最初に手がけた、当時最先端のライブハウス「怪人二十面相」でも話題となり
やがて原宿でロックンロールファッションとして一世風靡しました。(wikipedia参照)
涙のテディボーイ 【レアTV映像】
1974年2月、8thシングル 作詞 作曲 矢沢永吉
涙のテディーボーイ
「Eセット」「ヤマト」のバンド活動を経た矢沢永吉が
次なるバンドを作るべく
「ビートルズとロックンロール好きなヤツ、求ム!」と楽器店に貼り紙をし、新バンド【キャロル】のメンバー募集をかけたのが1972年4月。
2ヶ月後の6月に、バンド結成され
同年の12月にはもうレコードデビューしたのだから
矢沢の行動力、ジョニー大倉の感性
そして
【キャロル】というロックンロールの結晶を
時代が待っていたとしか思えないでしょう。
キャロル結成時にはすでに
矢沢はオリジナル曲100曲位は持っていたといいます。
その行動力は、その後も【涙のテディーボーイ】のような名曲をどんどん生んでいくのです。
ルイジアンナ(試作バージョン)
1975年4月、日本フォノグラム(フィリップス・レコード)は
キャロルの試作曲デモテープ音源や
未発表テイクを収録したドキュメンタリーアルバム【グッバイ・キャロル】をリリースしました。
その1曲目の
ルイジアンナ
うわぉ、ビートルズ?!みたいな衝撃が走るこのルイジアンナ試作英語バージョン。
英語といってもアバウト英語ですが(^^;)
僕的には通常の日本語盤よりこちらのバージョンが好きかもしれません。
これで試作という事は、デビュー前からこのクオリティ!
日本にまずこんなバンドはいなかったよなーと思わせるインパクト十分ではないでしょうか。
キャロルのヴィジュアルであるリーゼント&革ジャンのスタイルは、ビートルズのハンブルク時代の写真を見たジョニー大倉の発案によるもの。
たまたまフジテレビ番組「リブヤング」に出演していたキャロルをTVで観てブッ飛び
はやる気持ちでキャロルをスカウトしたミッキー・カーティスは
「漠然とやりたいと思っていたものを目の前で見せつけられた感じだった」と語っています。(wikipedia参照)
ファンキーモンキーベイビー~憎いあの娘
キャロルが1973年 TVK ヤングインパルスに出演した時の貴重映像
ファンキーモンキーベイビー~憎いあの娘
【ファンキーモンキーベイビー】はもう言わずと知れたキャロルの代表曲中の代表曲ですね。
そして、この映像ではジョニー大倉のいない3人での【憎いあの娘】。
ベースを弾きながら歌うだけでも大変なのに
3人でこれだけの音とグルーブを出せるのだから、キャロルひとりひとりの演奏力の高さを物語っているといえるでしょう。
キャロルは、結成して1972年8月から
横浜伊勢佐木町のディスコ「ピーナツ」でハコバンとしてスタート。
他、ゴーゴーホールやナイトクラブ、蒲田のキャバレーウラシマ等でドサまわりするなど
ビートルズのハンブルク時代のように
ハードな下積みを乗り越えてきただけの事はあるのです。