中学3年になると、いよいよ受験の準備だ。
もし受験で合格したら新しいステレオを買ってくれると親父が約束してくれた。
それからというもの無我夢中で勉学に取り組んだのでした。
親父とオカンの期待を背負って。
そして新しいステレオを夢見て。
猛勉強の甲斐あって高校受験合格した。
合格した事を親父に報告しに行った先は今も忘れる事はない井上病院の病室だった。
病室のベッドの上で親父は朗報をすごく喜んでくれ、外出許可を貰い、僕をレストランに連れて行きステーキを食わせてくれた。
今考えれば、それが親父の精一杯のもてなしだったのだろう。
高校一年になってしばらくした頃から
親父の体は黄疸で黄色くなっていった。
肝臓ガンだったのだ。
新しいステレオを買ってくれるとの約束は
結局、叶う事はなく・・
親父の黄色い体はどんどん瘦せこけていき何週間かのちに亡くなった。
もし、親父が生きていたとしたら僕は法律家への道を歩まされていただろう。
それが親父の夢だったみたいだ。
そんなプレッシャーの糸が切れた僕は、
勉学をよそに再び音楽にハマるようになっていった。
ハードロックに目覚めたのがちょうどこの頃だったかと思う。
今まで、ロックといえばベイシティローラーズとかビートルズとかがロックだと思っていた。
ある日、ベイシティローラーズを聴いていたら、オカンの耳には解釈不能な騒音に聴こえたのか
「この不良息子はジャズば聴きよる」
とか言われたが(笑)
なんとオカンには
ベイシティローラーズ=うるさい音楽=不良の音楽=ジャズ
という方程式が成り立つらしい(笑)
もともとジャズとロックの区別もつかないオカンならではの一言なのだが(笑)
そんなある日の事
友達からディープパープルを聴かされた時、
ベイシティローラーズなどロックではなかったのだと、初めて衝撃を受けることになる。
「スモークオンザウォーター」
「ハイウェイスター」
今まで聴いてきたポップな音楽とは全く異なる聴き触りのよくない曲調。
ザラザラした空気感。
オカンがジャズと言っても信じて疑わなかったかも知れない世界感(笑)
しかし聴けば聴くほど中毒になっていく。
ギターの音やドラムのプレイが次第に少年の心を躍らせていくのであった。
この時、少年の心にはこれが本当のロックなのだと覚醒し、どんどんハードロックのとりこになっていくのであった。
ちょうどその頃に、その仲間たちと文化祭でバンドをやらないかという話が持ち上がっていたのだった☆