回顧ヒストリー17

 

 

M木とのバンド「グランドクロス」は

結局メンバーが定着しないので

昔、北高時代のBURNでベースやってた応援団オトコ【I江】にベース&ボーカルを一時期やってもらうことに。

キーボードもM木の知り合いにお願いし、初のオリジナル曲「ターゲット」をレコーディングをする。

そしてブッキングのライブもやった。

「グランドクロス」では僕のドラムはツーバスのスタイルなのである。

思い出せばなんとも初々しいが

 

 

一方で、矢沢の「成りあがり」に出てくるヤマトとかキャロルのようなロックンロールバンドもやりたい。。
そんな気持ちもずっと持ち続けてた僕は、自然と正樹と今井とツルむようにもなっていた。

 

R&R トリオバンド

 

「スタジオに入らんや〜?」
あの「オットプロジェクト」のライブで初対面した日以来、意気投合した三人はノリで音合わそうやという事になった。
ギターは今井、正樹がベース&ボーカルでドラムが僕の初のトリオスタイルである。
現在はもう跡形もないが思案橋にあった近江屋レコード店の上にあるスタジオに入った。

 

 

 

 

 

♪キャンキャラララン キャラララン キャララ キャララ キャララ♪

 
今井のギターがイントロをかき鳴らす。

 

 

 

そして正樹のベースがグルーブし

歌い出す。

 
Well〜♪

my baby and me went out late

Saturday night 〜♪

 

 

ストレイキャッツの「ロックタウンは恋の街」だ。

 

 

 

 

 

三人の音がグルーブした。

 

初めて聴く今井のギターも途中のギターソロまでブライアンセッツァーばりにグルーブした。

 

ミスなんて全くなく、これぞまさにギタリスト!

 

ギターが違うだけで「ジュリエット」とこうも違うのかと?!

 

またM木とはタイプが違うロックンロールギター。
何か理想に近いギタリストという感じだった。

 

 

やる曲も「ストレイキャッツ」「クラッシュ」etc・・

ニューウェイブな感じでまた新鮮だ。

キャロルの曲もやったが、とにかくグルーブするする。

 

 

もともと正樹とはジュリエットでもやってたし、安心して小気味のいいノリで、その日はゴキゲンに進んでいった。

 

 

理想のギター

 

 

 

今井は
理想のギタリストだった。

 

ロックンロールはお手の物で

ギターセンス、なによりルックスがいい。

 

ドラマーというものは、良いプレイヤーに依存しないといけない事を「ジュリエット」で経験し、自然と心得ている。

 

のちに今井が本当に、才能溢れるギタリスト及び作詞作曲家になろうとはまだこの時点では、はっきりと気づかない僕だったのだが、

 

それでもこの時

 

もしたしたら・・と少しばかり頭をかすめた。

 

東へ行けるかもと・・

 

 

 

 

でも、このバンドはそんな堅苦しいものじゃなく、
ただロックンロールを楽しもうやというスタンスだった。

 

 

これからもお気楽に2〜3ヶ月に一回くらいのペースでスタジオに入ろうやという事になった。

 

 

 

諫早市

その頃の僕は、アメリカンタイプのバイクYAMAHA XS250スペシャルにまたがり、住んでいる諫早と長崎を行ったり来たりしていた。

その頃、僕が住んでいたのは長崎市の隣の市である諫早市。

隣の市だけど、距離的にけっこう離れている。

そんな遠い所まで、僕が働いていた喫茶店「アメリカン」へ正樹と今井はサプライズで遊びに来てくれたりした。

 

その頃の僕は嶋大輔のようなカーリーリーゼントにしていたつもりだったが、伸びきっていたのでアフロヘアに見えたらしく「アースウィンド&ファイヤやっか」と笑いあったりしていた(笑)

またこれも今でも忘れないが、今井にメシ食いに連れていってもらい「しょうが焼きランチ」を奢ってもらった事もある。

 

 

本当にいいヤツだ。

 

正樹と今井。

やつらといい付き合いが続いていた。

 

 

 

僕はいつもハードロックとロックンロールの狭間にいた気がする・・

 

 
時は、昭和57年7月24日

 

運命は少しずつ輪郭を明確に形作っていく。
諫早市から長崎市へと行かざるを得なくなり、それからの僕の運命を決定的に変えていく歴史的にも大きな出来事が起こった。

 

 

それは
想像を絶する集中豪雨が長崎の街を襲った7.23長崎大水害だ。

 

 

 

 

 

 

to be continued・・

 

 

 

 

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