みなさんどーも!UKです。
同じ西ドイツ出身のグループボニーMに触発された
ヴォルフガング・メーヴェスが仕掛け人となる音楽プロジェクトが1977年に誕生。
西ドイツのガールズ・ポップ・グループ
アラベスク ARABESQUE
メンバーの入れ替わりはありましたが
主に大ヒット街道を歩んだ全盛期のメンバーは
写真左から
ジャスミン・エリザベス・フェッター
サンドラ・アン・ラウアー
ミシェーラ・ローズ
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覚えやすいメロディ、突き抜けるサビ、踊れるディスコサウンド、etc
日本では「キャンディ・ポップ」と親しまれ、
竹の子族にも支持され、アラベスク人気は世界へと拡大していきました。
70年後半から80年代の大ヒット曲を選出した
アラベスク・マイフェイバリット・チューンをお贈りしたいと思います。
目次
ハロー・ミスター・モンキー Hello Mr Monkey
1978年 アラベスクの代表曲中の代表曲で、しかもデビュー曲
ハロー・ミスター・モンキー Hello Mr Monkey
当時のラジオではイヤというほどこの曲が流れ
ランキングの番組では、もういいでしょと言いたいくらい
いつもチャートの上位を占めてたこの曲、
まさか現在でもイヤというほどニキータ4で演奏し続けるとは思いもよりませんでした(笑)
レコードに収録されてるメインボーカルの声の主は
元々のオリジナルメンバーであるメリー・アン・ナーゲル。
彼女が脱退してから何回かのメンバーチェンジがあり
1979年に当時17歳のサンドラ・アン・ラウアーが起用されました。
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フライデー・ナイト Friday Night
1978年 1stアルバム『Arabesque』より2ndシングル
フライデー・ナイト Friday Night
ミディアムテンポの四分打ちバスドラに、オリエンタル風で異世界な曲調。
当時のラジオからは大ヒットデビュー曲の「ハロー・ミスター・モンキー」に続く
NEWシングル!として紹介され、チャートを賑わせていたアラベスク。
この曲はホント好きですね。。
ここからの快進撃はもうご存知の通りで
レコードリリースするたびにチャート上位に食い込むという大ポップスター街道を歩むのでありました。
当時はアラベスクが歌ってる映像とかも観れなかったし
こうやって振り付けもある昔の映像を観れる今の時代は
やっぱり恵まれてますよねー。
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フライ・ハイ Fly High Little Butterfly
1978年またまたアラベスクの1stアルバムから
フライ・ハイ Fly High Little Butterfly
そのファーストアルバムに針を落とし、
1曲目のハローミスターモンキーに続く2曲目の出だしがまた!
期待感を煽るサックスでさらにボルテージが上がりまくる。
マイナー調のAメロから、メジャー進行のサビになって
華やかに突き抜けさせるという売れ線王道の手法ですが、
なぜかそんなにあざとさを感じないHappyな曲ですね。
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恋にメリーゴーランド In for A Penny,In for A Pound
1981年 アラベスクの10thシングル
恋にメリーゴーランド (In for A Penny,In for A Pound)
大ヒット街道ひた走るアラベスク。
はたまた一方、暴走街道をひた走るシャコタン仕様のケンメリやジャパン。
その走り屋のカーコンポから大音量でシャカシャカと
アラベスクのこの曲がよく流れていたのを思い出します。
アラベスクやボニーMや横浜銀蝿のアルバムは当時の走り屋のマストアイテムでしたね(笑)
サビの部分ですが、当時の僕の耳には
インフォレタム メンソレ〜タム♪と聴こえてました(^^;;
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ミッドナイト・ダンサー Midnight Dancer
1981年の9thシングル
ミッドナイト・ダンサー
この頃のアラベスクも、レコードを出す度、出す度、何を出しても
お約束のように大ヒット確定でしたよね〜
同じ西ドイツ出身のボニーMの成功に触発され誕生したプロジェクト、アラベスク。
特に日本には大ウケで、アジアやソ連へも人気は飛び火しましたが、
本国の西ドイツでは『哀愁のマリゴット』しか売れなかったみたいです。
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ローラー・スター Roller Star
1980年 6thシングル
ローラー・スター
マイナー調のAメロからサビでメジャーになる展開が
この曲でもお家芸手法として使われていますね。
アラベスクの売りであるキャッチーで親しみやすいメロディは日本で大ウケ!
また、センターで歌うサンドラ・アン・ラウアーは
エクボ顔とスラリとしたモデル体型で
当時にいないタイプのアイドルとして日本でも大ウケし
アラベスク人気はとどまるところを知らないのでした。
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さわやかメイクラブ Make Love Whenever You Can
1980年アラベスクのアルバム『Arabesque Ⅳ』より
さわやかメイクラブ Make Love Whenever You Can
1980年代に入っても、まだまだ飛ぶ鳥を落とす勢いが続きます。
レコード屋からも、ラジオからも、
そして街の通りを流す車のカーコンポからは
ハイトーンにイコライジングしたアラベスクサウンドが
どこもかしこもで聴こえてくるほどに流行っていました。
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愛のリプライ Why No Reply
1982年 7thアルバム『ArabesqueⅦ』から
愛のリプライ (Why No Reply)
男性ボイスも入って、同じ西ドイツのグループボニーMを彷彿とさせますね。
やはり、アラベスクの曲調、そしてそのボニーMのミュンヘンサウンドは
日本人の好みのツボをおさえます。
モーニング娘。等、
日本のJ-POPにはこのミュンヘン・サウンドを意識した
オマージュ的な曲も散見されるようになりました。
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To Be Continued・・