アイ・ハード・ア・ルーマー Bananarama
1981年イギリスで結成された女性3人グループ、バナナラマ。
1984年、ショッキング・ブルーの「ヴィーナス」のカバーで全米1位を獲得し
1987年、ユーロビート感溢れるマイケル・フォーチュナティの「ギブ・ミー・アップ」に触発されて作られたという
アイ・ハード・ア・ルーマー
「ギブ・ミー・アップ」と激似な曲ですよね〜
80年代後半、日本においてはバブル期の真っ只中で
この曲「アイ・ハード・ア・ルーマー」は、マハラジャ等のディスコでのバブリーな「お立ち台」を象徴する曲となりました。
またこの頃、「ヴィーナス」を長山洋子、
「ギブ・ミー・アップ」をBabe、
「アイ・ハード・ア・ルーマー」を真弓倫子、等
洋楽のカバーをアイドルに歌わせるのが流行った時期でした。
この曲、当時パチンコ屋でもよくかかってたのも記憶に新しい(汗)
イン・ザ・ネイビー Village People
1977年、ニューヨークで結成され
ポリスマン、インディアン、GI、道路工事人、カウボーイ、バイカーといったコスチュームで
ゲイ受けを狙い、注目を集めた男性6人グループ、ヴィレッジ・ピープル。
ヴィレッジ・ピープルは、ポップス史上、ゲイ・イメージを表面に出して音楽活動を行った最初のグループといわれ、アメリカにおけるゲイの理解向上に貢献したとの評価もある。
ゲイに限らず一般の人々に受け入れられるよう、ポップ路線へと変更したところ、それが功を奏し世界的スターとして大成功を収める結果となった。 <wikipediaより>
そのヴィレッジ・ピープル
1978年の大ヒット曲「YMCA」を西城秀樹が、
また、1979年リリースの
イン・ザ・ネイビー
は、ピンクレディーや渋谷哲平等からカバーされ、
日本でも、そのヴィレッジ・ピープル人気を決定づける事となりました。
他にも「マッチョマン」や「ゴーウェスト」等のヒット曲を合わせた総売上は
全世界で5000万枚を記録。
♪やっちゃいな、やっちゃいな、やりたくなったらやっちゃいな♪ By ピンクレディーVer
スーパー・フリーク RICK JAMES
ニューヨーク州バッファローのスラム街で私生児として生まれたリック・ジェームスは、
若い頃から不遇な時期を過ごしてきましたが
1981年、モータウンよりリリースの
5thアルバム『ストリート・ソングス』で一躍スターダムへ。
そのアルバムに収録されている
スーパー・フリーク
この曲は、世界中で大ヒットしたMC・ハマーの「 U Can’t Touch This」のサンプリング元ネタとなるほどの
リック・ジェームス最大のヒット・チューンに。
その後も、ヒップホップ系のアーティストの音ネタに取りあげられるほど「ファンク・クラシック」の一曲となりました。
そのリックの音楽的才能はティーナ・マリー、メリージェーン・ガールのプロデュース業でも才覚を表し、エディ・マーフィーに楽曲も提供。
しかし、プライベートではドラッグ等の問題で警察のご厄介になるなど
生き方は破天荒そのもの。
天才か?変態か?と言われるほど本能のままに生き急いだのでした。
そのリック・ジェームス
2004年8月6日、 56歳の若さでついに帰らぬ人となりました。
フレッシュ KOOL&THE GANG
1985年、AORディスコとかメロディアス・ファンクと呼ばれた頃の
クール&ザ・ギャングのヒット・チューン
フレッシュ
1969年にデビューした当初はボーカルは不在で
インスト・ジャズファンクBIGバンド的な要素が強かったクール&ザ・ギャング。
人気ファンクバンドの時期を経て
1979年、ボーカルにジェームスJTテイラーが加入してからの
「レディース・ナイト」「セレブレーション」「ゲットダウンオンイット」「ジョアンナ」「チェリッシュ」等
たて続けに曲がヒットし、全米のポップチャートを賑わせ、世界的成功を収めたのでした。
もちろん初期のインスト時代もいいけど
この頃のメロディアスな時代のクール&ザ・ギャングも好き。
“変わる事が出来る”というのはつくづく大事だと思います。
いつも心に「フレッシュ」を持ち続けていたいですね。
以上11曲、ディスコミュージック・マイフェイバリットチューン2018総集編
やっぱりいいですね~ディスコミュージック!
まだまだ好きな曲はあるので、ここに追加していくか、「続続続編」をまた書くかもしれません。
今回はこの辺で!
みなさまおつきあい下さりありがとうございました☆
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