第8位 ギミー・シェルター Gimmi Shelter
1960年代後半頃になると、ストーンズの音楽性は、サイケデリック・サウンドの方向へと向かいつつありましたが
1969年のこのアルバム『レット・イット・ブリード 』から再び本来のロック色へ立ち返りました。
ベトナム戦争の影響を受けたこのアルバムのオープニングナンバー
ギミー・シェルター
前作のアルバム『ベカース・バンケット』リリース後の1968年頃には
ギターを持つことさえできなくなっているブライアン・ジョーンズの心身の不安定さは
かなり深刻なものとなっており
薬物使用などでトラブルばかり起こしてしまうブライアンはストーンズを脱退する事にしました。
このアルバムではほとんどのギターをキースが担当。この曲にはまだ参加してませんが新しいギターにミック・テイラーが加入。
ブライアン・ジョーンズは、脱退したそのひと月も経たない間に
自宅のプールで溺死しているのが発見されたのでした。
その2日後、ロンドンのハイドパークで急遽開かれた追悼コンサートで
ブライアン・ジョーンズ、27歳の若すぎる死を悼みました。
第7位 ワイルド・ホース Wild Horses
1970年、デッカ/ロンドンレコードとの契約が切れたストーンズが
1971年4月、自らのレーベル「ローリングストーンズ・レコード」を立ち上げてからの初リリースアルバム『スティッキー・フィンガーズ』
大ヒットを放った【ブラウン・シュガー】も収録されたこのアルバム『スティッキー・フィンガーズ』は
全英、全米共に4週連続ナンバー1ヒットに輝きました。
ブライアン亡き後、新ギタリストのミック・テイラーもこのアルバムから全曲初参加。
そのアルバム『スティッキー・フィンガーズ』の中から
アメリカでシングルカットされ、28位まで上昇した
ワイルド・ホース
カントリー調なバラードが胸に残ります。
アコースティックギターとスライドギターの音色が心地よく
途中からのチャーリー・ワッツのドラムがまた!独特のタイム感とタメを効かせて良い味を醸し出します。
5人の圧倒的な存在感。
「これぞバンド!」と言わしめる名曲ではないでしょうか。
この曲【ワイルド・ホース】を収録し、ストーンズの再スタートを華々しく切るこのアルバム『スティッキー・フィンガーズ』は
『ベカーズ・バンケット』『レットイットブリード 』『メインストリートのならず者』と並ぶストーンズの最高傑作と評価されました。
◆ローリングストーンズ展に行ってきました
第6位 ダイスをころがせ Tumbling Dice
1972年、前作のアルバム『スティッキー・フィンガーズ』に続き
全米、全英ともに1位を記録したローリングストーンズ・レコード第2弾のアルバム
『メインストリートのならず者』より先行シングルとしてリリースされた
ダイスをころがせ
「ホンキー・トンク・ウィメン」「ブラウン・シュガー」あたりから取り入れたオープンGのチューニングを使った5弦ギターと
チャーリー・ワッツがスネアの位置でハイハットを抜く独特の奏法で
バンドのリズムを主導したキース・リチャーズ。
ミック・テイラーにギターソロはまかせ
その間をうねるようにビル・ワイマンのベースが埋め
ミック・ジャガーがブルージーかつソウルフルに黒っぽく歌う
ミディアム・テンポのルーズなグルーヴ(ノリ)がローリング・ストーンズの特徴であり
その真骨頂といえる中期のストーンズ・スタイルが確立したのもこの時期からではないでしょうか。
この曲「ダイスをころがせ」はストーンズのツアーではマスト曲、鉄板曲として披露され続けています。
この曲「ダイスをころがせ」ではレコーディングにおいて、ミック・テイラーはギターではなくベースで参加しており、リードギターはリチャーズが担当している(ビル・ワイマンは不参加)。また、チャーリー・ワッツと共にプロデューサーのジミー・ミラーもドラムを叩いている。後述の通りコンサートでは頻繁に採り上げられ、また多数のコンピレーション・アルバムにも収録されているが、ジャガー本人の自己評価は低く、「みんなあの曲のどこが気に入ってるのかわからない。歌詞が今一つなんだよな」とコメントしている。アルバムからの先行シングルとしてリリースされ、全英5位、全米7位につけるヒットとなった。
< Wikipediaより>
第5位 悲しみのアンジー Angie
1973年、ローリングストーンズ・レコードからのリリースアルバム『山羊の頭のスープ』は
アメリカで4週連続1位、イギリスで2週連続1位を獲得
その『山羊の頭のスープ』より先行シングルとしてリリースされた
悲しみのアンジー
この曲の【アンジー】とは、アンジェラの愛称なので
アンジェラというキースの娘の事とか、デビッド・ボウイの嫁の事とかなどなど
いろんな説がありますが、この歌の中の【アンジー】は
「angie=angel=天使」
「angie=天使=大切な恋人」と捉えていいのでしょう。
With no loving in our souls
and no money in our coats
You can’t say we’re satisfied
But Angie, Angie,
you can’t say we never tried心に愛もなく
上着には金はなく
ボクたちに不満はないなんて言えないね
でもねアンジー アンジー
ボクたち頑張らなかった訳じゃないだろ<悲しみのアンジー和訳より>
やるせない歌詞とアコギの悲しい音色
苦労をしたのに別れないといけない恋人たちの悲痛な叫び・・
なぜ別れざるを得なかったのだろうといろんな憶測が飛び交います。
日本の歌で言えば、さくらと一郎の「昭和枯れすすき」のようなものでしょうか。(←そこまでは行かん)
貧乏を苦に死のうと思わないだけまだマシですね。。
「貧乏はするもんじゃねえ、味わうもんだ」
という、古今亭志ん生の声が聞こえてきそうです。
その「悲しみのアンジー」はアメリカでシングルとしては7作目の第1位、
イギリスで5位を記録しました。
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第4位 メモリー・モーテル Memory motel
1975年、ギターのミック・テイラーが脱退するため
ストーンズは、後任の新メンバーを決める段階にはいっていました。
ミック・テイラーが1974年12月12日に突如グループからの脱退を宣言したため、ロッテルダムでのセッションは新メンバーのオーディションとレコーディングを兼ねた作業となった。このセッションには、多くのギタリスト – ジェフ・ベック、ロリー・ギャラガー、ハーヴェイ・マンデル、ウェイン・パーキンス及びロン・ウッド – が参加することとなった。この様子をメディアは「グレイト・ギタリスト・ハント」と呼び、ストーンズの新メンバーが誰になるかを予想し大いに煽ることとなった。しかし本作に収録された曲で参加が認められるのは、ハーヴィ・マンデル、ウェイン・パーキンス、ロン・ウッドの3人のみである。
< wikipediaより>
1976年、ギターにロン・ウッドが初参加した『ブラック・アンド・ブルー』をアルバムリリース。
そして、ロンはストーンズの正式メンバーへ。
そのアルバム『ブラック・アンド・ブルー』から
レコーディング・バージョンでは「7分8秒」というストーンズで最も長い曲
メモリー・モーテル
クレジット上ではジャガー/リチャーズになってますが、
ミックがほぼひとりで作詞作曲したと言われるストーンズの中でも指折りの名曲ではないでしょうか。
前座のデイブ・マシューズが飛び入り参加し、キースもボーカルをとっている「メモリー・モーテル」ライブバージョンの映像を。
さ、いよいよ第3~1位の発表!