スタックス
アメリカテネシー州メンフィスに拠点を置くスタックス・レコードは、
「ドック・オブ・ザ・ベイ」のオーティス・レディング、「ホールド・オン」のサム&デイブ、「ダンス天国」のウィルソン・ピケット等の数々のヒットアーティストを輩出しました。
ほか、ブッカー・T&ザ・MG’s、ルーファス・トーマス、アルバート・キング、アイザック・ヘイズ、etc
明るくダンサブルなモータウンが「ノーザンソウル」とすれば、
それに対し
南部のリズム&ブルース色濃いスタックスは「サザンソウル」とも呼ばれました。
どっちかというと、ディープで通が好みそうなスタックス。
UKが選ぶソウルミュージック・マイランキング
第6位はそのスタックスからの一曲を。
第6位 Try A Little Tenderness オーティス・レディング
「ローリングストーン誌が選ぶ歴史上最も偉大なシンガー」において
第8位のオーティス・レディング。
代表曲の「ドック・オブ・ザ・ベイ」はあまりにも全世界で愛される名曲。
今回は1966年の代表作
トライ・ア・リトル・テンダネス
「ほんの少し 優しくしてあげて」と歌うこの美しいラブソングは
元々はビングクロスビーやフランクシナトラもカバーしたスタンダードナンバー。
この翌年の1967年、オーティスは
白人ロックミュージシャンばかりのモントレーポップフェスティバルに黒人ソウルシンガーとして出場しますが
人種の垣根を取り払う名演で大絶賛評価を浴びる事となりました。
しかし同年12月、ショッキングな事に自家用飛行機の事故により26歳という若さで帰らぬ人となるのです。
事故の3日前に録音された「ドック・オブ・ザ・ベイ」は、翌年のビルボードで、週間ランキング第1位を獲得し、オーティスにとって唯一のビルボード誌週間ランキング第1位の曲となった。(wikipediaより)
時は遡り、ソウルミュージックへと発展するルーツになったゴスペルについて少し語ってみたいと思います。
ゴスペル
ゴスペルとは簡単に言うと、アメリカで黒人が集まる教会で歌われている歌です。
誰か一人が歌い出せば全員が手拍子を取り、声を合わせて歌い出す、あの映画「天使にラブソングを」のような光景を思い出しますね。
ゴスペルはルーツを辿れば、17世紀にアフリカからアメリカへ強制的に奴隷として送られた黒人が神に救いを求め、賛美歌を捧げたスピリチュアルズと言われる「黒人霊歌」が基盤となり、
そこからブルース等、様々な音楽と混ざり合い「ゴスペル」が形成されました。
ゴスペル出身のサム・クック、レイ・チャールズ、ジェームス・ブラウンらは、ゴスペルとR&Bを咀嚼しながら発展させ、ソウル・ミュージックと呼ばれる新しいジャンルを開拓した。<wikipediaより>
ソウルミュージックマイランキング第5~4位はゴスペル出身のソウルシンガーの曲を。
第5位 (You make me feel like)A Natural Woman アレサ・フランクリン
「ローリングストーンが選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」栄えある堂々の第1位。
サザン・ソウルとしてはオーティス・レディングと人気を二分し
【クイーン・オブ・ソウル】
【レディ・ソウル】の名を欲しいままにしたアレサ・フランクリン。
そのアレサの母は「全米で最も優れたゴスペル歌手のひとり」と称され、父は牧師という環境で育ったアレサは幼い頃から大いに「ゴスペル」の影響を受けました。
1961年にデビューするも大きくは売れない時期を経て
66年アトランティックレコードに移籍してからは、前レコード会社で封印されていた「ゴスペル・フィーリング」を打ち出し、ヒットを連発。
1972年に発表した「アメイジング・グレイス」は『最も売れたゴスペルアルバム』として認定され、アレサはグラミー賞 最優秀ソウル・ゴスペル・パフォーマンス賞を受賞しました。
このアルバムは200万枚以上売れ、40年以上経った現在でも記録は破られていません。
持ち味のゴスペルフィーリングを打ち出した「明日を架ける橋」「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」も素晴らしいですが
ホイットニーヒューストン、セリーヌディオン等、数々のアーティストから愛されカバーされたキャロルキングの名曲
ナチュラル・ウーマン
は、やっぱりもっと好きだ〜
そのアレサ・フランクリン2018年8月16日
享年76歳
膵臓がんのためお亡くなりになりました。
世界はまた偉大なソウルの巨人を失くしました。
R.I.P.
第4位 A Change Is Gonna Come サム・クック
「ローリングストーンが選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」第4位のサム・クック。
クレイジーケンもカバーする「ワンダフルワールド」やオールディーズ業界王道の「ツイストで踊り明かそう」等
ゴスペルをルーツに持つサム・クックが、白人向けのポップスを中心にソングライターとしても人気を得ていましたが
ある日、ボブ・ディランの「風に吹かれて」に影響を受け
自分が人種差別に関する痛切な楽曲を書いてない事を悔しく思い
「いつかきっと変化は訪れる」と
人種差別はびこる社会を変えたいと強く願い、メッセージに込め創られた
ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム
そんなサム・クックに憧れ、師と仰ぎ背中を追っていた人の中にオーティス・レディングも。
数多くのアーティストからもリスペクトされていたサム・クックですが、1964年12月にモーテルで撃たれ不慮の死を遂げ33歳の若さで帰らぬ人となるのです。
ソウルの巨人たちが音楽史に残してきた功績は計り知れないですね。
さ、UKが選ぶソウルミュージックマイランキング
いよいよベスト3の発表です。
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