みなさんどーも!UKです。
今回のマイフェイバリット・チューンは
「ファンクの帝王」「ミスター・ダイナマイト」「ゴッドファーザー・オブ・ソウル」「ショービジネス界一の働き者」「ソウル・ブラザーNo.1」等、、
数々の異名や称号を持ち、20世紀ポピュラーミュージック界に
新しいブラックミュージック、「ファンク」の礎を築き
この世から旅立った現代でも
その「ファンク」はお手本となって生き続け、進化し、影響を与え続けるアーティスト、
JAMES BROWN
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アジア系とインディアンの血を持つジェームス・ブラウンは、
ジャングルの中で育てられ、極貧の子供時代を送ります。
スーツ欲しさに窃盗の罪で拘留された少年時代には
その監獄の中で音楽で生きる道を見出し、
知り合ったボビー・バードに生活の面倒を見てもらいながら
バンド「フェイマス・フレームス」をスタート。
ついには、天才ぶりを発揮し、「ファンク」という、世界でも革新的なサウンドを生み出した
ジェームス・ブラウン マイフェイバリット・チューンをお贈りしたいと思います。
目次
- 1 アイ・ガット・ユー I Got You (I Feel Good)
- 2 パパのニューバッグ Papa’s Got a Brand New Bag
- 3 コールド・スウェット Cold Sweat
- 4 ソウル・パワー Soul Power
- 5 ゼア・ワズ・ア・タイム There Was a Time
- 6 マザー・ポップコーン Mother Popcorn
- 7 プリーズ・プリーズ・プリーズ Please Please Please
- 8 セックス・マシーン Get Up I Feel Like Being Like a Sex Machine
- 9 トライ・ミー Try Me
- 10 リビング・イン・アメリカ Living in America
アイ・ガット・ユー I Got You (I Feel Good)
ファンクの帝王 ジェームス・ブラウンの1965年のヒットナンバーから
アイ・ガット・ユー I Got You (I Feel Good)
全米チャート1位。R&Bチャート1位。
熱さみなぎるゴキゲンなナンバーですね。
ジェームス・ブラウンが15歳の時、窃盗の罪で服役した時に、ボビー・バードと知りあい
のちにそのボビーのバンドでリードヴォーカルとして参加したのが、
バンド「ジェームス・ブラウン&ザ・フェイマス・フレイム」のスタートとなるのでした。
ジェームス・ブラウン(以下JB)は
あのマイケル・ジャクソンもリスペクトするアーティストであり
「ここにいるこの人物ほど僕に大きな影響を与えた人はいない」と
スピーチし、生涯功労賞を手渡しされるほど
数々のアーティストからもリスペクトされる世界的巨大エンターテイナーとなっていくのです。
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パパのニューバッグ Papa’s Got a Brand New Bag
1965年のヒットナンバー
パパのニューバッグ Papa’s Got a Brand New Bag
全米チャート8位、R&Bチャート1位。
全英では初の25位まで食い込むチャートインとなりました。
また、自身最初のグラミー賞「Best R&B Performance」を受賞。
16ビートのドラム&ベースのリズムと
カッティングギター、ホーンセクションが特徴的なファンク。
1956年に「Please Please Please」のデビューヒット以来、
10年近くもヒット曲が生まれず
そのファンクスタイルへ路線チャレンジしてからの快進撃が始まるのでした。
「新しいダンスを手に入れたんだぜ」という歌詞の内容、
そしてタイトルの「パパのニューバッグ」、
このニューバッグとは、新しいダンスとか新しいスタイルの意味らしく
いわゆるJBのキレッキレダンスも炸裂する「ファンク」のことなのでしょうか。
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コールド・スウェット Cold Sweat
1967年のヒットナンバー
コールド・スウェット Cold Sweat
R&Bチャート1位。ポップシングルチャート7位。
やっぱりファンクは、このキレですよね。
ボーカルも、リズムを強調した力強いビートとして機能しており
そこにはメロディアスなサビなどは一切排除。
最初から最後までビートで押し切るスタイルを確立したのがファンク。
キャッチーなメロディの部分がなかったせいか
1975年以降のディスコブームの波に乗り切れなかったという現実もありましたが
JBが残したファンクの歴史は偉大だと気づかされます。
上の映像は、あのモハメドアリとジョージフォアマンが対決した伝説の「キンシャサの軌跡」での
ライブイベント「ザイール74」から。
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ソウル・パワー Soul Power
1971年 JBのファンクナンバー
ソウル・パワー Soul Power
JBの音楽やダンスは、マイケル・ジャクソンが神と崇め、リスペクトしてるのも有名ですが
そのマイケルのインスピレーションになったであろうJBのダンスステップ。
キレッキレで熱く、観るものを釘付けにするダンスステップもJBの大きな特徴と言えるでしょう。
あのミックジャガーも、JBのステージを初めて観た時から衝撃を受け、
ステージアクション等もそうとうに研究。
ドキュメンタリー映画『ミスター・ダイナマイト ファンクの帝王ジェームス・ブラウン』の
プロデュースも手掛けるほど、JBから受けた多大なるリスペクトが伝わってきますよね。
そんなJBの柔軟でキレの良い強靭な肉体は、
野球選手やプロボクサーが夢だった少年時代から培われたものなのでしょうか。
上の映像は、JBの見事なダンスを集めているシーンを。
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ゼア・ワズ・ア・タイム There Was a Time
1967年のヒットナンバー
黒いグルーブが熱い、中毒性あるJBワールド全開ですね。
「ゴッドファーザー・オブ・ソウル」「ミスターダイナマイト」「ショービジネス界一の働き者」他
数えきれない称号を持つJBは、
死ぬ間際の病床でまで「マイケル・ジャクソンとプリンスとやらなきゃいけない仕事がある」と
気にしていたほどの働き者、ライブ人間でした。
繰り返される黒いグルーブ。
「ファンク」のスタイルであるその同じグルーブを継続していく事が、
人間の感性を高揚させていく事を実践し続け、証明したJB。
20世紀のポピュラー音楽界に大きな功績を残したJB。
楽曲、歌、ステージアクション、ダンス、MC、等
強靭な肉体と声と共に、ショーマンとしてのステージ演出を築き上げてきたJB。
彼を超えられるアーティストはそうそう現れないんじゃないでしょうか。
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マザー・ポップコーン Mother Popcorn
1969年のヒットナンバー
マザー・ポップコーン Mother Popcorn
この曲での「ポップコーン」というのは当時流行っていたダンススタイル。
このグルーブもヤバい。全盛期のJBダンスステップも絶好調ですね。
リズムを前面に打ち出したJBスタイルは、
メロディを主に歌うのではなく、シャウトやうなり的な要素を
リズムの一部として連鎖させ、サウンドのスキマやキレの良さを強調させる。
バンド演奏のコードも2〜3つくらいしか使わない。
COOLでノリのいいベースプレイや、メイシオ・パーカーのサックスソロも必聴だが
僕的にもう一人注目したいのはドラムス、クライド・スタブルフィールド。
1965年頃からJBファミリーとして、ジャボ・スタークスとツインドラムを担い、
「コールド・スウェット」「エイント・イット・ファンキー・ナウ」等の
ファンク・ドラミングを作り上げた名ドラマー。
そのクライドは惜しくも、2017年(享年73歳)に亡くなりましたが
「ファンキードラマー」として、ヒップホップ界でも1000以上のサンプリングされた音が使われ
多大なる影響を与え続けているのです。
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プリーズ・プリーズ・プリーズ Please Please Please
1958年 ジェームス・ブラウンのデビュー曲、
プリーズ・プリーズ・プリーズ Please Please Please
ブルースとかゴスペル色濃い曲ですね。
歌詞に関しては、「please please〜」を連呼する内容。
当時、契約していたキングレコードのシド・ネーサンは
「please、please〜と連呼するだけで、音楽ではない」と腹を立て
スタジオを出ていったようですが、それをよそに、この曲は
R&Bチャート5位まで上昇し、JBの一番最初のヒット曲に。
また、この曲、ライブの時にはハイライトがありまして
プロレスを観てヒントを得たという「Cape Act」と言われるマントショー。
「please〜」と歌いながら悲しみに崩れ落ちるJBに、マントをかけ舞台袖へ連れられるが
そのマントを振り払い、再起するかのように再び歌い出すというパフォーマンスが
観客を沸かせる定番となったのでした。
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セックス・マシーン Get Up I Feel Like Being Like a Sex Machine
1970年「ゲロッパ!」でお馴染みのJBを代表するナンバー
セックス・マシーン Get Up I Feel Like Being Like a Sex Machine
クールでストイックなグルーブの中に、留まるところをしらないJBの勢いを感じますね。
この70年代に入った頃のバックバンドは
ベースにブーツィー・コリンズ、ギターに兄のキャットフィッシュ・コリンズらが参加した「The JB’s」。
「ゲロッパ!」の合いの手を歌うのは初期からのメンバー、ボビー・バード。
若い頃、窃盗の罪で服役していたJB。
その教護院内で知り合ったボビーバードに、釈放後は生活等のお世話になり
彼がやっているバンドに参加することに。
それがのちの、JB初期のバックバンド「フェイマス・フレイムス」なのですが
70年代に入り、賃金の問題でその「フェイマス・フレイムス」のメンバーのほとんどが脱退。
そののちに結成された新しいバックバンド「The JB’s」を伴って
JBは、キャリア全盛期へと向かう事になるのでした。
我々、ニキータ4の制作した「ソウルゆで太郎音頭」の中でも
敬意を込め、オマージュとして
この「Sex Machine」のバックフレーズを使わせてもらっています(^ ^)
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トライ・ミー Try Me
1958年 JBの初期時代に戻り
トライ・ミー Try Me
全米チャート48位、R&Bチャート1位。
1956年のデビュー曲「Please Please Please」からブランクを経て
2年後にようやくチャート入りしたヒットナンバー。
ブルージーでR&B色濃いラブソングですね。
ゴスペル風なコーラスも特徴的。
1960年以降のソウルミュージックにおいて、そのゴスペルスタイルのコーラスが定番となったように
JBは、20世紀ブラックミュージックの歴史を改革してきた先駆者のひとりなのでした。
映画「ジェームスブラウン〜最高の魂を持つ男」の劇中で
離れてしまった相棒のボビー・バードに向け
「Try me〜 (俺を信じておくれ)」・・(中略)・・ I need you〜」
と、この曲を歌うラストシーン。。胸に残る場面でしたね。
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リビング・イン・アメリカ Living in America
1985年のアルバム『Gravity』に収録された80年代JBを代表する曲
リヴィング・イン・アメリカ Living In America
全米チャート4位、全英シングルチャート5位。
80年代らしいキャッチーさもミックスされたファンクナンバーですね。
ダン・ハートマンとチャーリー・ミッドナイトがソングライトしたこの曲は
JBにとって約17年ぶりとなるTOP10内にランクされるヒットとなりました。
86年のグラミー賞では、最優秀男性R&Bヴォーカル・パフォーマンス賞を受賞。
映画「ロッキー4」でアポロの入場シーンで使われる挿入歌となり
再び注目を集めるのですが
88年、JBはコカインを吸引し、銃を乱射し
警察とカーチェイス後、逮捕されてしまうというゴッドファーザーっぷり。
しかし、そんな悪態劇もなんのその、
90年代に入ってからは、名誉ある特別功労賞を受賞したり
オーガスタ9番街を「ジェームスブラウン大通り」と改名されたり
数々の功績を讃えられるJBはやはり「ソウル界のゴッドファーザー」なのです。
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To Be Continued・・