ラストチャンス

1973年、NHKディレクターだった龍村仁が制作したドキュメンタリー「キャロル」のTV放映に際して
NHK上層部からボイコットされたことが社会問題に。
それが結果的に、キャロル人気に更に拍車をかけ、コンサートでは軒並みソールドアウト。
そして、1974年は
山本寛斎ファッションショーでのライブのため、フランスのパリへ渡ったキャロル。
帰国後の全国ツアーでは、エキサイトしたファンの乱闘事件が多発。
京都の円山公園でのコンサートでは4000人のキャパを超える7000人が押し寄せ、大混乱になり重傷者3人、軽傷者8名を出す乱闘事件へと発展、
しだいにキャロル公演を拒否する会場が増えていくという社会問題となりました。(wikipedia参照)
その1974年12月
10thシングルリリース、A面曲の
ラストチャンス
♪Baby これが最後のチャンス
Baby 恋が燃え尽きそうな
信じられない All my love 人の心は
だから本当の答えをおくれ
せめて別れの時に♪

ヘイタクシー(キャロル・ラストライブ映像)


1975.4.13 キャロル解散ラストライブ
日比谷野音 燃えつきるキャロル ラストライブ
この日、キャロルの最後を観ようと、3000人収容の会場に7000人もの聴衆がつめかけました。
護衛を任せられたのが黒の軍団クールス(この頃はクールズ)。
そのクールスにも象徴されるように
革ジャン、リーゼント、バイク、サングラスのキャロルのスタイルは
暴走族のファッションとしても定着し、たちまち全国へ広がり社会現象を生むほどに。
とりわけ暴走族からの絶大な支持を集めたキャロル。
この【燃えつきるラストライブ】のビデオにも、舘ひろしや岩城滉一らの黒の軍団クールスが
国会議事堂あたりをバイクで乗り回すシーンが出てきます。
その中で
「ガッツ、ガッツ、ガッツ〜」と
村山一海が気合い入れて叫んでいる「ガッツ」が
僕も活動しているGUTSのバンド名の由来なのです。(←ハイ、余談です)

1975.4.13 キャロル解散ラストライブ
ラストのド最後は
演出ではなく、たまたま特殊効果用の火がセットに燃え移り
まさに文字通り、燃えつきるラストライブとなった日比谷野音。
その歴史的伝説のライブから
ヘイタクシー
まとめ
当時、キャロルの出現がいかにセンセーショナルだったか
リスナーだけではなく、どれだけのミュージシャンやバンド、そしてクリエイターの人々に影響を与えたか。
氷室京介、藤井フミヤ、高橋ジョージ、マックショウ、横山剣、ダイヤモンドユカイ、他、有名なミュージシャンは数え切れません。
現在、キャロルでYouTubeを検索しても今だにキャロルのコピーバンドが軒を連ねて投稿されてますし
また観たこともない当時のキャロルの貴重な映像が次々とアップされています。
それほど、これだけ人々をワクワクさせ、強烈なカリスマ性を持ったバンドは当時、日本にはいなかったのではと思うのです。
みなさま長らくおつきあいありがとうございました☆
◆ビートルズ マイフェイバリット10はこちら
◆クールス・マイフェイバリット・チューンはこちら
◆UKが選ぶディスコ曲マイランキングはこちら
◆GS・マイランキングはこちら
◆ローリングストーンズ・マイランキングはこちら
【ローリングストーンズといえばこの曲でしょマイランキング】 ROLLING STONES 名曲 ヒット曲 おすすめ人気曲 16選
◆ディスコ&ソウルミュージック・ランキングはこちら
◆ソウルミュージック・マイランキングはこちら
◆【2018年度版】ディスコミュージック・マイフェイバリット・チューンはこちら
◆沢田研二マイランキングはこちら