第13位 テルミー Tell me(You’re Coming Back)
1964年リリースされたファーストアルバム「ROLLING STONES」に
収録されているほとんどの曲がカバー曲で、その中の唯一のオリジナル曲
テル・ミー
もともとストーンズはR&Bのカバーバンド。
チャック・ベリーのカバー「Come on」でデビューしたものの売れ行きは思わしくなく
それを懸念し次作を提供したのはあのビートルズなのです。
のちのちにはビートルズのリンゴ・スターが歌う事になったそのストーンズの次作
【I wanna be your man(彼氏になりたい)】を提供してもらうにあたり
ジョン・レノンとポール・マッカートニーがスタジオに駆けつけ、この曲をものの見事に仕上げ
提供してくれた偉大さにミックとキースはかなり触発され、そこから、
オリジナルを作ろう!と開眼し、作曲された言われるオリジナル第1作。
ミック・ジャガー/キース・リチャーズの初めての共作による親しみやすいポップなナンバーが生まれました。
ここから最長寿ロックバンド、ローリング・ストーンズの快進撃が始まるのですね。
当時は日本のGS(グループサウンズ)のバンドもこのポップな曲「テル・ミー」をこぞってカバーし
ザ・タイガースではサリー(岸部一徳)がボーカルをとっています。
p.s. 僕がたま〜にやってるインチキコピーバンドの「ローリング・ストーソズ」では
ミック・ジャガいちくんがこの曲「テル・ミー」のボーカルをとっています。(←どーでもいい)
第12位 タイム・イズ・オン・マイ・サイド Time is on my side
同じく1964年
原曲はジャズのインスト曲に歌をつけたものをカバーしアメリカでシングルリリース。
アルバムでは【ザ・ローリング・ストーンズ No.2】に収録
タイム・イズ・オン・マイ・サイド
全米6位。
この曲でストーンズ初のトップ10入りを果たしました。
この曲を聴いているとタンバリンの音が、ドラムのスネア(小太鼓)の位置と明らかに合ってませんね。
日本のレコーディングではそういう所、ビッチリ合わせがちですが
ストーンズにしてみれば
「そんなの関係ねーさ」みたいな(笑)
「それも味だよ、味!」とでも言ってそうな
ラフでワイルドなストーンズらしさを物語っていると思います。
この曲「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」は
パティスミス、ウィルソンピケット、オージェイズらがカバー。
日本ではザ・タイガース、ソロになってからの沢田研二も歌い続けていますね。
第11位 サティスファクション (I can’t get no) Satisfaction
♪ I can’t get no Satisfaction…
‘Cause I try and I try …I can’t get no…♪
(俺は満足なんかできてない 俺はトライして トライしたんだが
手に入らない 手に入らないんだ)
強烈な歌詞とファズで歪ませたギターリフで若者のフラストレーションを表現した
サティスファクション
1965年、ジャガー/リチャーズのオリジナルが
初の世界的ヒットとなり、全米進出となるターニング曲となるのです。
1965年のビルボード年間ランキング3位、全米シングルチャート4週連続1位
全世界で500万枚売り上げるモンスターバンドへとのし上げたストーンズの
代表曲中の代表曲「サティスファクション」はライブのラストやアンコールの定番曲になりました。
この曲を収録する4thアルバム(イギリスでは3rd)【アウト・オブ・アワ・ヘッズ】(アメリカ盤)はプラチナ・アルバムを獲得。
黒人ソウルシンガーのオーティス・レディングやアレサ・フランクリン他、数多くのミュージシャンがカバー。
そして!
「ローリング・ストーン誌が選ぶ最も偉大な500曲 第2位」
第10位 黒くぬれ Paint it black
1966年、ストーンズは初のオリジナルのみのアルバム「アフター・マス」をリリース。
ジャガー/リチャーズのオリジナルの成功により二人が注目を浴びがちですが
このストーンズ初期のメンバーで忘れてならないのがブライアン・ジョーンズ。
もともと始まりは、ブライアンが率いるバンドにミックとキースが選ばれ、のちにビル・ワイマンとチャーリー・ワッツが加わりストーンズの原型が誕生。
当初はR&Bやブルースのカバー主体のバンドを目指していました。
ブライアンがストーンズを創った男であり
「ローリング・ストーンズ」の名付け親であり、(マディ・ウォーターズのブルース曲「Rolling stone」をバンド名に)
そのバンドのリーダーであったブライアン・ジョーンズが選曲等、一切を主導していたのですが
やがて、ジャガー/リチャーズのオリジナルでバンドが売れてくると
利益を考えるレコード会社やマネージャーの意向でオリジナル曲を優先するようになり
自分の役割を奪われていくブライアンは、現実逃避の為、ドラッグへと走っていくことに。
いつの世も資本主義なのですね。
その一方、多彩な楽器を導入し世界感を拡げていくブライアン・ジョーンズ。
この「アフターマス」に収録されているこの曲
黒くぬれ では、
インドの楽器シタールを弾き
他にも「レディ・ジェーン」でダルシマー
「アンダー・マイ・サム」ではマリンバを操るブライアンの
ただならぬ才能は、ストーンズのサウンドに貢献し賞賛されるのですが
ブライアンの現実逃避はその後も改善される事はありませんでした。
第9位 ルビー・チューズデイ Ruby Tuesday
1967年2月、イギリスのひと月後にアメリカでリリースされたアルバム
『ビトウィーン・ザ・バトンズ』からの収録曲
【夜をぶっとばせ/ルビーチューズデイ】をカップリング両A面シングルとして同時発表。
イギリスで3位、アメリカでは1位となりゴールドディスクを獲得しました。
「アズ・ティアーズ・ゴーバイ 」「レディー・ジェーン」に続く
ストーンズ初期の3大スウィートナンバー
ルビー・チューズデイ
ブライアンが曲を書いたという説がありますが、実際はキースが恋人と別れた火曜日の事をキース自身が作詞作曲したものとされてます。
前作のアルバム「アフター・マス」でシタール、ダルシマー、マリンバを導入したブライアン・ジョーンズはこの曲に於いてはリコーダー(縦笛)にチャレンジ。
この頃、ドラッグに溺れていくブライアンなのですが、閃くアイデア、音楽に対するパッションはまだまだ失われていなかったのでしょう。
この名曲「ルビー・チューズデイ」はザ・タイガースはもちろん、海外ではロッド・スチュワート、シルヴィ・バルタン、スコーピオンズ、etcからカバーされました。
さ、続いて第8位は!