おすすめ ディスコ&ソウルミュージック 名曲 人気曲 ヒット曲 70~80年代 マイランキング 総集編

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ファンク

 

ファンクとは主に16ビートで、リズムを強調したサウンド。

全楽器、ボーカルともにリズム主体を前面に押し出し反復させ、ダンサブルにした演奏法。

主なファンクのアーティストに

ファンカデリック、パーラメント、ワイルドチェリー、コンファンクシャン、等等

ほか、クール&ザ・ギャングやアースウィンド&ファイヤ等は「どファンク」と言うよりは厳密に考えればメロディも大事にする「ファンキー・ミュージック」なのかなと僕的には捉えてます。

俗に言う「ファンキー」はファンクっぽいという意味にとってますが、元々は生活に密着した泥臭さという意味であり、音楽的には泥臭い黒人教会音楽の感覚の事を指しました。

 

黒人の教会音楽ゴスペルからリズム&ブルースへと進化し、ソウルミュージックへ。またそこから派生したファンク。

ファンクの中のファンク、「どファンク」と言われるファンクの基盤を作ったのが

ジェームス・ブラウンなのであります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第11位 Cold Sweat ジェームス・ブラウン

 

 

最初にファンクを確立したと言われる

ジェームス・ブラウン。

通称【JB】、【ファンクの帝王】、

【ゴッドファーザーオブソウル】、

【The Hardest Working Man in Show Business】(ショービジネス界一番の働き者)、

数々の異名をもつジェームス・ブラウンは

「ローリングストーン誌が選ぶ最も偉大な100人のシンガー」において10位。

マイケルジャクソンはJBからステップを学んだらしいし、

プリンスは若い頃JBのステージに興奮して登り、警備から引きずり降ろされるほどJBのファンでした。

ゲロッパ!の「Sex Machine」は代表曲として有名ですが

今回は、1967年発表した

 

コールド・スウェット

 

聴けばお分かりのように

ボーカルもリズムを強調した力強いビートとして機能しており

そこにはメロディアスなサビなどは一切排除。最初から最後までビートで押し切るスタイルを確立しました。

キャッチーなメロディの部分がなかったせいか

1975年以降のディスコブームの波に乗り切れなかったという現実もあったり

犯罪歴も残したりしましたが

2006年12月25日73歳、病床で逝去するまでに

それを覆すかのような数々の素晴らしい賞を受賞し、最期の最期まで仕事の事を気にしていた働きものなのでした。

 

1992年2月25日、ブラウンは第34回グラミー賞特別功労賞を受賞している。その1年後には第4回リズム&ブルース財団賞特別功労賞を受賞した。また、1993年11月11日にオーガスタ市長のチャールズ・ディヴァニーは、オーガスタ9番街を「ジェイムズ・ブラウン大通り James Brown Boulevard」と改名し記念式典を行った。(wikipediaより)

 

 

2003年、マイケルジャクソンはJBへ「ここにいるこの人物ほど、僕に大きな影響を与えた人はいない」とスピーチし、自らのミュージシャンの師匠であるブラウンに生涯功労賞を手渡した。同年にはケネディセンター賞も受賞した。(wikipediaより)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ファンキー・ディスコ

 

映画「サタデーナイトフィーバー」により全世界にブレイクしたディスコ・ミュージック。

もともとは、白人が【黒人のソウル・ミュージック】を意識して作られたもの。

ディスコミュージックは黒人のソウルミュージックから発展したものなのです。

エルビスプレスリーやビートルズなどが、R&B等の黒人音楽を白人向けの音楽へアプローチして世に出したように

このディスコブームで黒人はまたしても白人に盗られたと思い

黒人ミュージシャンの一部のアーティストは

黒人らしさを強調した「ファンキー・ディスコ」を発表していくのです。

 

ディスコミュージックは踊らせるための音楽であるため、どうしてもソウルやR&B、ファンクなどに比べると、

軽く見られる傾向が強かった。

しかし、一部のアーティストは黒人らしさを強調したファンキー・ディスコ(ブラック・ディスコ)の曲を発表した。<Wikipediaより>

 

 

 

 

 

 

そんなファンキー色強い第10位は!

 

 

 

 

 

 

第10位  I’ts Time To Party Now  レイ・パーカーJr & RAYDIO

 

 

黒人にしか出せない独特のタイム感。

 

ねっとりしたスネアドラムの音とベースのリズム隊

 

それに重なるギターカッティング

 

そして、黒人のボイスが、しだいに病みつきにさせていく

 

 

パーティ・ナウ 

 

 

カッティングギターはあのレイ・パーカー・Jr

バリーホワイトやチャカカーン、スティービーワンダーらのセッションで修業を積んだレイ・パーカー・Jrは

1980年、「パーティ・ナウ」でヒットを放つ。

翌年1981年に同氏が放った大ヒット曲「ウーマン・ニーズ・ラブ」は

あのブラック大好き中村義人がいつかニキータ4とコラボでやりたいとの

たってのリクエストが来ています(^o^)

 

いつかぜひとも実現したいですね!

 

 

 

 

 

 

 

 

第9位  Reach Out  ジョージ・デューク

 

 

80年代に「シャイン・オン」を大ヒットさせたジョージデュークが

 

地声とファルセットを歌い分け

キャッチーなメロディが印象に残り

夢の世界へと突き抜けさせる

これまた洗練された曲を1983年に発表。

 

 

 

リーチ・アウト

 

 

 

前面にチョッパーベースをフィーチャー。

そのベーシストはやっぱり「ブラジョン」のルイス・ジョンソン。

カッティングギターはマイクセンベロ。

 

もともとジャズピアニストだったジョージデュークは

クインシージョーンズ、フランクザッパ、ピリーコブハムのグループに参加し、知名度を上げていき、「シャインオン」がディスコヒット。

その後「リーチアウト」リリースし

作曲家、シンガー、プロデューサーとマルチに才能を開花させていきました。

 

 

あの星野源もツアー中、ジョージ・デュークを会場で流すくらいお好きだそうですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

黒人ミュージシャンの

独特のリズム感。

ボイス。

洗練されたメロディ。曲作り。

 

いつ聴いても黒人ミュージシャンの

潜在的な特別な能力に感動を覚えずにはいられません。

 

それは、遠い時代からの差別とか迫害から生まれてくるものなのか

音楽が想像を越える位の心の拠り所だったのかもしれません。

生活にいつも音楽があり

研ぎ澄まされていく黒人の血を感じるのです。

 

ディスコ・ミュージックを知り

ソウル・ミュージックを知り

しだいにブラックミュージックに傾倒していく自分に気がつくのでした。

 

ソウルミュージック マイランキングはこちら☆

 

 

 

 

 

 

 

 

ディスコ&ソウルミュージック マイランキング

14〜9位まで発表しましたが

この辺でスウィートなソウル・ミュージックを。

 

 

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