中学生の時にブラスバンド部の勧誘の際、スネアドラム(小太鼓)のロールを間近で見て衝撃を受け、パーカッションとして入部する事になる。
部室の中には、小太鼓はもちろん、大太鼓、ティンパニ、コンガ、ボンゴ、鉄琴、木琴、などの打楽器群がひしめき合っている。
そして、その奥の方を見ると、バスドラ、スネア、タムタム、シンバルがセットになったドラムセットという楽器が、まぶしくオーラを放ちながら神々しく構えていた。
そこでドラムセットというものに初めて出会う事になるが、
新人ゆえにもちろん叩かせてもらうハズもなく(一番先輩がドラムセット、下級生は大太鼓、トライアングル、シンバルetc)
毎日、机にゴムパットを張った練習台でパタパタとスティックコントロールの日々が続いた。
そのうち、年に一回の吹奏楽コンクールに僕も出場させてもらうことになり、
シンバルを担当する。
ラストで一発、ジャーーーーン!!!
とフィナーレを飾るあのシンバルだ。
本番もその一発の間は、座って待っていなければならず、退屈そうに口を開けて写ってる僕の写真が今でも家の保存版として残っている(^^;;
余談になるが、クラシックのプロのオーケストラの世界では、その一発のシンバル奏者とバイオリン奏者とギャラは同じらしい。
シンバル道、極めたらオイシかっただろうな〜(^o^)
話はそれたが、そのコンクールで我が部はなんと金賞を獲り!九州大会へとコマを進める事になった。
修学旅行以来、よその県に遠征する事は中々ないから、とてもワクワク&ドキドキ♪と大会へ心をときめかせていた。
残念ながら大会結果は銅賞だったけど、そんなことより大好きな先輩たちと同じ部屋で寝泊まりできて、夜中じゅう興奮して騒いだりとかして楽しかった想い出が今も駆け巡ります。
そのブラバンでは他の遠征演奏や定期演奏会などに参加したのち
僕の家が一軒家を建てる事になったので
引っ越しすることになったのです。
今でこそ裕福ではないが、その頃はわりと中流家庭だったんだなと改めて思い返します。
そんなこんなで中学2年半ば頃、
他の中学校へ転校することになり、
想い出深いブラバンとのお別れは
それはそれはとても悲しかった想い出であります。
転校先の中学校にはブラスバンド部はなく、卒業までの間、悶々とした中学生活を送る事になるのでありました。