ドッサウェイ☆ Like A Rolling Stone

【ローリングストーンズといえばこの曲でしょマイランキング】 ROLLING STONES 名曲 ヒット曲 おすすめ人気曲 16選

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

みなさんどーも!UKです。

 

「No Band No Life!」「エビバデ バンド♪ をモットーに

これまで数々のバンドを渡り歩き

バンド人生歴もそろそろ35年は歩んできた【音楽&バンド馬鹿】のワタクシUKが、選曲するマイランキングシリーズ!

 

今回!

そのマイランキングシリーズのエントリー・ミュージックに選ばれたのはっ!

 

1962年に結成して以来、一度も解散することなく

今年2018年で実に56年の活動歴を誇る大御所というよりモンスターバンド。

世界中の「バンド人間」の憧れ、お手本といえる

 

ザ・ローリング・ストーンズ

 

 

 

 

ローリング・ストーンズ、現在のメンバーは

Vo.ミック・ジャガー

G.キース・リチャーズ

G.ロン・ウッド

Dr.チャーリー・ワッツ  ※2021/8/24逝去されました(享年80歳)

B.ビル・ワイマン脱退後、ベースのダリル・ジョーンズは正式メンバーとしては加入してない

 

1962年、イギリスのロンドンで結成

リズム&ブルースの伝統に根ざしたスタイルで半世紀以上活躍を続け

長く継続して活動することの偉大さを教えてくれるザ・ローリング・ストーンズ。

 

さ、みなさまから好評を頂いておりますこの【UKが選ぶマイランキング総集編シリーズ】!(思い込み)

今回は!

【ローリング・ストーンズと言えばこの曲でしょ】マイランキング16選 をお贈りしたいと思います。

 

では早速

16位から発表してまいりましょう!

 

 

 

<追記 2021年8月25日>チャーリーワッツの訃報が届きました。我が敬愛する最高のドラマーが天国へと旅立ち(2021/8/24 享年80歳)

ショックと共に寂しい思いでいっぱいです。R.I.P.

 

 

 

 

 

 

第16位 友を待つ Wating on a friend

 

 

 

 

1981年リリースされた『刺青の男(Tattoo You)』より「スタート・ミー・アップ」に続くセカンドシングル、全米13位、全英50位。

友を待つ Wating on a friend

 

 

♪I’m not waiting on a lady

I’m just waiting on a friend♪

(訳詞)俺は女を待っているんじゃない

ただ友を待っているだけなんだ

 

 

「すごく優しい愛に満ちた、バンド内の友情について歌ったものだ」とミックが説明するように

この曲の全編に包む優しい世界が心地いい。

サックスにジャズプレイヤーのソニー・ロリンズを起用。

際立つサックスソロが優しい世界に色を添えます。

動画の中でミックがキースを待つニューヨーク マンハッタンのアパート前は

レッド・ツェッペリンのアルバム「フィジカル・グラフィティ」のジャケット写真にも使われました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第15位 ビースト・オブ・バーデン Beast of burden

 

 

 

 

1978年6月リリースしたローリング・ストーンズのアルバム『女たち(Some girls)』は

アメリカで1位、イギリスで2位を記録。

1972年の「メインストリートのならず者以来のベストアルバム」と評価されました。

この『女たち』からの第1弾シングル「ミス・ユー」に続くシングルカット

ビースト・オブ・バーデン

曲の良さもさることながらドラムス、チャーリー・ワッツのタイム感が好きです。

3拍目のハイハットを抜く独特の叩き方でスネアを強調するというバック・ビートのスタイル。

味のある<黒人っぽいタイム感>もローリング・ストーンズの特徴のひとつではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

第14位 愚か者の涙  Fool to cry

 

 

 

1976年4月リリースのアルバム『ブラック・アンド・ブルー』収録曲

愚か者の涙

♪Ooh Daddy you’re a fool to cry♪

娘が父親に

「ダディ 泣くなんてバカよ 泣くなんてバカ    どうして泣くの?」

情景が浮かんでくるような沁み入るスローバラードですね。

ストーンズの曲にはミック・ジャガーのファルセット(裏声)が所々に散りばめられている曲が多く

そういうソウル・ミュージックっぽいところも魅力のひとつ。

ロックンロールバンドとしての位置づけのローリング・ストーンズですが

ブルース、R&B、ソウル等、<黒人音楽への多大なるリスペクト>を感じるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さ、続いては、ストーンズ初期の頃に遡ります。

第13位は!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第13位 テルミー Tell me(You’re Coming Back)

 

 

1964年リリースされたファーストアルバム「ROLLING STONES」に

収録されているほとんどの曲がカバー曲で、その中の唯一のオリジナル曲

テル・ミー

もともとストーンズはR&Bのカバーバンド。

チャック・ベリーのカバー「Come on」でデビューしたものの売れ行きは思わしくなく

それを懸念し次作を提供したのはあのビートルズなのです。

のちのちにはビートルズのリンゴ・スターが歌う事になったそのストーンズの次作

【I wanna be your man(彼氏になりたい)】を提供してもらうにあたり

ジョン・レノンポール・マッカートニーがスタジオに駆けつけ、この曲をものの見事に仕上げ

提供してくれた偉大さにミックとキースはかなり触発され、そこから、

オリジナルを作ろう!と開眼し、作曲された言われるオリジナル第1作。

ミック・ジャガー/キース・リチャーズの初めての共作による親しみやすいポップなナンバーが生まれました。

 

ザ・ビートルズ マイフェイバリット10はこちら

 

ここから最長寿ロックバンド、ローリング・ストーンズの快進撃が始まるのですね。

当時は日本のGS(グループサウンズ)のバンドもこのポップな曲「テル・ミー」をこぞってカバーし

ザ・タイガースではサリー(岸部一徳)がボーカルをとっています。

 

 

 

p.s. 僕がたま〜にやってるインチキコピーバンドの「ローリング・ストーズ」では

ミック・ジャガいちくんがこの曲「テル・ミー」のボーカルをとっています。(←どーでもいい)

 

 

 

 

 

 

 

第12位 タイム・イズ・オン・マイ・サイド  Time is on my side

 

 

 

同じく1964年

原曲はジャズのインスト曲に歌をつけたものをカバーしアメリカでシングルリリース。

アルバムでは【ザ・ローリング・ストーンズ No.2】に収録

タイム・イズ・オン・マイ・サイド

全米6位。

この曲でストーンズ初のトップ10入りを果たしました。

この曲を聴いているとタンバリンの音が、ドラムのスネア(小太鼓)の位置と明らかに合ってませんね。

日本のレコーディングではそういう所、ビッチリ合わせがちですが

ストーンズにしてみれば

「そんなの関係ねーさ」みたいな(笑)

「それも味だよ、味!」とでも言ってそうな

ラフでワイルドなストーンズらしさを物語っていると思います。

この曲「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」は

パティスミス、ウィルソンピケット、オージェイズらがカバー。

日本ではザ・タイガース、ソロになってからの沢田研二も歌い続けていますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第11位 サティスファクション (I can’t get no) Satisfaction

 

 

♪ I can’t get no Satisfaction…

‘Cause I try and I try …I can’t get no…♪

(俺は満足なんかできてない 俺はトライして トライしたんだが

手に入らない 手に入らないんだ)

強烈な歌詞とファズで歪ませたギターリフで若者のフラストレーションを表現した

サティスファクション

1965年、ジャガー/リチャーズのオリジナルが

初の世界的ヒットとなり、全米進出となるターニング曲となるのです。

1965年のビルボード年間ランキング3位、全米シングルチャート4週連続1位

全世界で500万枚売り上げるモンスターバンドへとのし上げたストーンズの

代表曲中の代表曲「サティスファクション」はライブのラストやアンコールの定番曲になりました。

この曲を収録する4thアルバム(イギリスでは3rd)【アウト・オブ・アワ・ヘッズ】(アメリカ盤)はプラチナ・アルバムを獲得。

黒人ソウルシンガーのオーティス・レディングやアレサ・フランクリン他、数多くのミュージシャンがカバー。

そして!

「ローリング・ストーン誌が選ぶ最も偉大な500曲 第2位

 

 

 

 

 

第10位 黒くぬれ Paint it black

 

 

1966年、ストーンズは初のオリジナルのみのアルバム「アフター・マス」をリリース。

ジャガー/リチャーズのオリジナルの成功により二人が注目を浴びがちですが

このストーンズ初期のメンバーで忘れてならないのがブライアン・ジョーンズ

 

 

 

 

 

 

もともと始まりは、ブライアンが率いるバンドにミックとキースが選ばれ、のちにビル・ワイマンとチャーリー・ワッツが加わりストーンズの原型が誕生。

当初はR&Bやブルースのカバー主体のバンドを目指していました。

ブライアンがストーンズを創った男であり

「ローリング・ストーンズ」の名付け親であり、(マディ・ウォーターズのブルース曲「Rolling stone」をバンド名に)

そのバンドのリーダーであったブライアン・ジョーンズが選曲等、一切を主導していたのですが

やがて、ジャガー/リチャーズのオリジナルでバンドが売れてくると

利益を考えるレコード会社やマネージャーの意向でオリジナル曲を優先するようになり

自分の役割を奪われていくブライアンは、現実逃避の為、ドラッグへと走っていくことに。

いつの世も資本主義なのですね。

その一方、多彩な楽器を導入し世界感を拡げていくブライアン・ジョーンズ。

この「アフターマス」に収録されているこの曲

黒くぬれ では、

インドの楽器シタールを弾き

 

 

他にも「レディ・ジェーン」でダルシマー

「アンダー・マイ・サム」ではマリンバを操るブライアンの

ただならぬ才能は、ストーンズのサウンドに貢献し賞賛されるのですが

ブライアンの現実逃避はその後も改善される事はありませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第9位 ルビー・チューズデイ  Ruby Tuesday

 

 

 

1967年2月、イギリスのひと月後にアメリカでリリースされたアルバム

『ビトウィーン・ザ・バトンズ』からの収録曲

【夜をぶっとばせ/ルビーチューズデイ】をカップリング両A面シングルとして同時発表。

イギリスで3位、アメリカでは1位となりゴールドディスクを獲得しました。

「アズ・ティアーズ・ゴーバイ 」「レディー・ジェーン」に続く

ストーンズ初期の3大スウィートナンバー

ルビー・チューズデイ

ブライアンが曲を書いたという説がありますが、実際はキースが恋人と別れた火曜日の事をキース自身が作詞作曲したものとされてます。

前作のアルバム「アフター・マス」でシタール、ダルシマー、マリンバを導入したブライアン・ジョーンズはこの曲に於いてはリコーダー(縦笛)にチャレンジ。

この頃、ドラッグに溺れていくブライアンなのですが、閃くアイデア、音楽に対するパッションはまだまだ失われていなかったのでしょう。

この名曲「ルビー・チューズデイ」はザ・タイガースはもちろん、海外ではロッド・スチュワート、シルヴィ・バルタン、スコーピオンズ、etcからカバーされました。

 

 

 

 

 

 

 

 

さ、続いて第8位は!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第8位 ギミー・シェルター  Gimmi Shelter

 

 

 

 

1960年代後半頃になると、ストーンズの音楽性は、サイケデリック・サウンドの方向へと向かいつつありましたが

1969年のこのアルバム『レット・イット・ブリード 』から再び本来のロック色へ立ち返りました。

ベトナム戦争の影響を受けたこのアルバムのオープニングナンバー

ギミー・シェルター  

前作のアルバム『ベカース・バンケット』リリース後の1968年頃には

ギターを持つことさえできなくなっているブライアン・ジョーンズの心身の不安定さは

かなり深刻なものとなっており

薬物使用などでトラブルばかり起こしてしまうブライアンはストーンズを脱退する事にしました。

このアルバムではほとんどのギターをキースが担当。この曲にはまだ参加してませんが新しいギターにミック・テイラーが加入。

ブライアン・ジョーンズは、脱退したそのひと月も経たない間に

自宅のプールで溺死しているのが発見されたのでした。

 

その2日後、ロンドンのハイドパークで急遽開かれた追悼コンサートで

ブライアン・ジョーンズ、27歳の若すぎる死を悼みました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第7位 ワイルド・ホース  Wild Horses

 

 

 

 

 

1970年、デッカ/ロンドンレコードとの契約が切れたストーンズが

1971年4月、自らのレーベル「ローリングストーンズ・レコード」を立ち上げてからの初リリースアルバム『スティッキー・フィンガーズ』

大ヒットを放った【ブラウン・シュガー】も収録されたこのアルバム『スティッキー・フィンガーズ』は

全英、全米共に4週連続ナンバー1ヒットに輝きました。

 

 

 

 

ブライアン亡き後、新ギタリストのミック・テイラーもこのアルバムから全曲初参加。

そのアルバム『スティッキー・フィンガーズ』の中から

アメリカでシングルカットされ、28位まで上昇した

ワイルド・ホース  

カントリー調なバラードが胸に残ります。

アコースティックギターとスライドギターの音色が心地よく

途中からのチャーリー・ワッツのドラムがまた!独特のタイム感とタメを効かせて良い味を醸し出します。

5人の圧倒的な存在感。

「これぞバンド!」と言わしめる名曲ではないでしょうか。

この曲【ワイルド・ホース】を収録し、ストーンズの再スタートを華々しく切るこのアルバム『スティッキー・フィンガーズ』は

『ベカーズ・バンケット』『レットイットブリード 』『メインストリートのならず者』と並ぶストーンズの最高傑作と評価されました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆ローリングストーンズ展に行ってきました

ローリングストーンズ展に行ってきた記事はこちら

 

 

 

 

第6位 ダイスをころがせ  Tumbling Dice

 

 

1972年、前作のアルバム『スティッキー・フィンガーズ』に続き

全米、全英ともに1位を記録したローリングストーンズ・レコード第2弾のアルバム

『メインストリートのならず者』より先行シングルとしてリリースされた

ダイスをころがせ

「ホンキー・トンク・ウィメン」「ブラウン・シュガー」あたりから取り入れたオープンGのチューニングを使った5弦ギターと

チャーリー・ワッツがスネアの位置でハイハットを抜く独特の奏法で

バンドのリズムを主導したキース・リチャーズ。

ミック・テイラーにギターソロはまかせ

その間をうねるようにビル・ワイマンのベースが埋め

ミック・ジャガーがブルージーかつソウルフルに黒っぽく歌う

ミディアム・テンポのルーズなグルーヴ(ノリ)がローリング・ストーンズの特徴であり

その真骨頂といえる中期のストーンズ・スタイルが確立したのもこの時期からではないでしょうか。

この曲「ダイスをころがせ」はストーンズのツアーではマスト曲、鉄板曲として披露され続けています。

 

この曲「ダイスをころがせ」ではレコーディングにおいて、ミック・テイラーはギターではなくベースで参加しており、リードギターはリチャーズが担当している(ビル・ワイマンは不参加)。また、チャーリー・ワッツと共にプロデューサーのジミー・ミラーもドラムを叩いている。後述の通りコンサートでは頻繁に採り上げられ、また多数のコンピレーション・アルバムにも収録されているが、ジャガー本人の自己評価は低く、「みんなあの曲のどこが気に入ってるのかわからない。歌詞が今一つなんだよな」とコメントしている。アルバムからの先行シングルとしてリリースされ、全英5位、全米7位につけるヒットとなった。

< Wikipediaより>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第5位 悲しみのアンジー  Angie

 

 

1973年、ローリングストーンズ・レコードからのリリースアルバム『山羊の頭のスープ』は

アメリカで4週連続1位、イギリスで2週連続1位を獲得

その『山羊の頭のスープ』より先行シングルとしてリリースされた

悲しみのアンジー

この曲の【アンジー】とは、アンジェラの愛称なので

アンジェラというキースの娘の事とか、デビッド・ボウイの嫁の事とかなどなど

いろんな説がありますが、この歌の中の【アンジー】は

「angie=angel=天使」

「angie=天使=大切な恋人」と捉えていいのでしょう。

 

With no loving in our souls
and no money in our coats
You can’t say we’re satisfied
But Angie, Angie,
you can’t say we never tried

心に愛もなく
上着には金はなく
ボクたちに不満はないなんて言えないね
でもねアンジー アンジー
ボクたち頑張らなかった訳じゃないだろ

<悲しみのアンジー和訳より>

悲しみアンジー 訳詞

 

やるせない歌詞とアコギの悲しい音色

苦労をしたのに別れないといけない恋人たちの悲痛な叫び・・

なぜ別れざるを得なかったのだろうといろんな憶測が飛び交います。

 

日本の歌で言えば、さくらと一郎の「昭和枯れすすき」のようなものでしょうか。(←そこまでは行かん)

貧乏を苦に死のうと思わないだけまだマシですね。。

「貧乏はするもんじゃねえ、味わうもんだ」

という、古今亭志ん生の声が聞こえてきそうです。

 

その「悲しみのアンジー」はアメリカでシングルとしては7作目の第1位、

イギリスで5位を記録しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第4位 メモリー・モーテル Memory motel

 

 

1975年、ギターのミック・テイラーが脱退するため

ストーンズは、後任の新メンバーを決める段階にはいっていました。

 

ミック・テイラーが1974年12月12日に突如グループからの脱退を宣言したため、ロッテルダムでのセッションは新メンバーのオーディションとレコーディングを兼ねた作業となった。このセッションには、多くのギタリスト – ジェフ・ベック、ロリー・ギャラガー、ハーヴェイ・マンデル、ウェイン・パーキンス及びロン・ウッド – が参加することとなった。この様子をメディアは「グレイト・ギタリスト・ハント」と呼び、ストーンズの新メンバーが誰になるかを予想し大いに煽ることとなった。しかし本作に収録された曲で参加が認められるのは、ハーヴィ・マンデル、ウェイン・パーキンス、ロン・ウッドの3人のみである。

< wikipediaより>

 

1976年、ギターにロン・ウッドが初参加した『ブラック・アンド・ブルー』をアルバムリリース。

そして、ロンはストーンズの正式メンバーへ。

 

 

 

そのアルバム『ブラック・アンド・ブルー』から

レコーディング・バージョンでは「7分8秒」というストーンズで最も長い曲

メモリー・モーテル

クレジット上ではジャガー/リチャーズになってますが、

ミックがほぼひとりで作詞作曲したと言われるストーンズの中でも指折りの名曲ではないでしょうか。

前座のデイブ・マシューズが飛び入り参加し、キースもボーカルをとっている「メモリー・モーテル」ライブバージョンの映像を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さ、いよいよ第3~1位の発表!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第3位  アンダー・マイ・サム Under my thumb

 

 

 

1983年、ストーンズは81年のアメリカンツアーをドキュメンタリー映画にした【レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー】を発表。

そのアメリカンツアーのオープニングナンバー。

元々は、生前のブライアン・ジョーンズがマリンバを担当した1966年のアルバム「アフター・マス」からのジャガー/リチャーズによる初期のオリジナル曲

アンダー・マイ・サム Under my thumb

何万人もの大観衆が熱狂するスタジアムの映像、カメラワーク、

登場シーンからゾクゾクさせてくれます。

フットボールスタイルのミック・ジャガー。

ワイルドなスタイルのキース・リチャーズ

そして、後ろで支えるドラム、チャーリー・ワッツ。ギター、ロンウッド。そして寡黙そうなベース、ビル・ワイマン。

ストーンズ独特の雰囲気とグルーブがたまりませんね。

ギターにロン・ウッドが加入してからの、脱退前のベース、ビル・ワイマンを含む

全盛期の役者が揃った5人の勇姿が観れる貴重な映像でしょう。

(※その映像が削除されましたので2006年Zilker ParkでのLIVE映像を↓)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第2位  ミス・ユー  Miss you

 

 

1978年リリースしたアルバム『女たち Some girls』よりの先行シングル

ミス・ユー

ディスコ・ミュージックが全世界のポップ・チャートを独占していた70年代後半

それは、ロッド・スチュワートの「アイム・セクシー」やキッスの「ラビン・ユー・ベイビー」など、ロックと言われるジャンルまでもが

ブームに便乗するかのように、こぞってバスドラム4分打ちのディスコ・ビートを取り入れた時代。

そんなディスコ・ブームの真っ只中

当時、中学生であった僕でさえ

「ストーンズ、お前もか」

と、感じたこの曲が、【ミス・ユー】なのでした。

【ミス・ユー】はイギリスで最高3位、アメリカでは「悲しみのアンジー」以来5年ぶりとなる1位を獲得。

 

余談ですが、この曲スタジオ盤での【ミス・ユー】イントロ部分で聴こえるシカゴ・ブルース風なハープを吹く【シュガー・ブルー氏】に影響され、シカゴまでご本人様に会いに行ったというエピソードを持つ、筋金入りの

Mちゃんからの絶大なるリクエストを受け

【ミス・ユー】は藤タカシ&トップラインで、マストなレパートリーとなっております。(←宣伝したいだけやろ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第1位  スタート・ミー・アップ Start me up

 

 

 

1981年リリースのアルバム『刺青の男』からの先行シングル

スタート・ミー・アップ

イントロのギターリフが印象的なゴキゲンなナンバーですが

もともとはこの曲、捨て曲として葬られていたのをプロデューサーが掘り起こし

新たに手を加え、甦らせたのでした。

 

俺をスタートさせろよ

俺に火をつけろよ

その気にさせろよ

<スタートミーアップ 訳詞>

 

ストーンズのライブではトップに演奏される事も多く、今では欠かせない一曲。

ミック・ジャガーは「80年代を代表する曲だ」とも語っています。

この頃になると、ストーンズのスタンス的にチャートの上位なんか狙ってなくとも

全米2位、全英7位を獲得するという。。

この曲のプロモ映像を観ててもおどけてみたり、とぼけてみたり

ラフというか、アバウトというか

チョイ悪で余裕な感じがイケてますね。

リキが入らない生き方に憧れてしまいます。

 

 

<スタートミーアップ・プロモーションビデオ映像>

 

 

 

<スタートミーアップ・ライブ盤映像>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まとめ

 

以上、後期のアルバム『アンダーカヴァー』以降の曲を除く

ローリング・ストーンズ・マイランキング全16曲

マイランキングというよりヒストリーっぽくなりましたね。

1962年に結成して56年間、メンバーチェンジはあったものの

一度も解散することなく第一線で活躍しつづける最長寿ロックバンド、ザ・ローリング・ストーンズ。

ミックとキースの不仲時代もありましたが、それをも乗り越え、バンドとして更に成長し

継続することの大切さを考えさせられます。

 

現役バリバリ平均年齢72歳(2018年現在)の巨樹バンドはまだまだ走り続けてます。

そのバイタリティ溢れるミック・ジャガーは72歳のとき8人目の子供を授かったそうです。(2018年現在で74歳)

 

ザ・ローリング・ストーンズ

これからも世界中のバンドのお手本となって、カッコよく年齢を重ねていくことでしょう。

 

 

 

それでは!

最後に【ジャンピング・ジャック・フラッシュ】の映像を観ながらお別れです。

 

長らくお付き合い頂きありがとうございました☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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