みなさんどーも!UKです。
みなさまからご好評を頂いております、ワタクシUKが選出する【マイランキング・シリーズ】
さ、今回のマイフェイバリット・ランキングに選ばれたエントリー・ミュージックは!
そう!
◆ボーカル&ベース 矢沢永吉
◆ボーカル&サイドギター ジョニー大倉
◆リードギター 内海利勝
◆ドラムス ユウ岡崎
あの伝説の四人が織りなすグレイトなロックンロール・バンド!
I’ts a
CAROL
1972に結成され1975年に解散するまでのわずか2年半
その誕生、活動と共に
日本のロックシーンに大いなる影響を残したバンド、キャロル。
ラストの1975.4.13日比谷野音で燃え尽きた解散ライブは
40年過ぎた現在もなお、伝説として語り継がれ生き続けています。
キャロルと言えば
僕もGUTSで演奏させてもらってますし
つい先日
ウッちゃんこと内海利勝さん、ジョニー大倉Jr.のケンイチ大倉をゲストに
開催した【キャロル祭り】の興奮も覚めやらないほど
キャロルには熱い思い入れがあります。
小学校の頃、キャロルの名前を知った時には
とうに解散してましたが
のちのち聞いたそのサウンド、曲、スタイル、リーゼントetc
僕に及ぼしたその影響力たるや
それまでのハードロック一辺倒の僕を大きく揺り動かしたインパクトなのでした。
その後、僕のバンド人生への導火線に火をつけたバンドとも言える
キャロルの《マイフェイバリット13選》をスタートしたいと思います。
なかなか観ることができなかった貴重な映像なんかも織り交ぜてるので
ダブってる曲もありますが
早速まいりましょう!
目次
レディ・セブンティーン
1972年、フジテレビの「リブ・ヤング」に初TV出演したキャロル。
ミッキー・カーティスの目に留まり
そこからメジャー・デビューへと繋がり
日本フォノグラムより1972年12月から1973年6月まで7枚のシングルを
毎月立て続けにリリースしました。
1973年3月、4枚目のシングルとなった
レディ・セブンティーン
作詞 ジョニー大倉 作曲 矢沢永吉
このコンビは、もうレノン/マッカートニー!
キャロルは日本のビートルズと言えるでしょう。
日本語と英語をミックスさせた独特の歌詞や歌い方を
ビートの効いたサウンドに乗せたロックを確立させ
ひいてはこの手法が現代のJ-POPの発展へと至らせた事は
キャロル最大の功績と論じられたのでした。(wikipedia参照)
ジョニーの声、矢沢のコーラス、ギターリフ、メロディ、曲調、サウンド
どれをとってもワクワクさせるこの一曲は
最近になってようやく我がバンド、ニキータ4のレパートリーとなりました。(嬉)
夏の終わり
イントロのギターからハートブレイクな夏の浜辺をイメージさせます。
1976年4月リリース、作詞・作曲矢沢永吉の9thシングル
夏の終わり
♪Ah〜もう恋などしない 誰にも告げず♪
失恋するたび、このフレーズがどれだけリフレインしたことか…
僕にとって、懲りない青春時代のマストアイテム曲だったような気がします(汗)
ヘイタクシー
キャロルのドラマーと言えばユウ岡崎ですが
上のジャケットに写ってる右端のドラマーは
のちのダウンダウンブギウギバンドのドラマーであり
その昔、GUTSもライブでお世話になっていた【新宿スモーキンブギ】のオーナーでもある相原誠さん。
その誠さんがキャロルでタイコを叩いた時期があったのです。(3rdシングルの時期のみ)
(追記 2020/4/20)
相原誠さん残念なことに、虚血性心不全のため2020年4月13日天国へ旅立たれました。心よりお悔やみ申し上げます
1972年1月リリースの2ndシングル
ヘイタクシー
今回の映像は伝説のラストライブのバージョンではなく
なかなか観ることができなかった初期のヘイタクシー。(ドラムはユウ岡崎)
画質は荒いけど、レア感溢れる貴重な映像が嬉しいですね。
さ、次のページからますますレアな映像が続きますよ。
最後の恋人 【レア映像】
1972年12月
日本フォノグラム(フィリップス・レコード)から華々しくデビューした1stシングル
【ルイジアンナ】のB面曲
最後の恋人
作詞 ジョニー大倉 作曲 矢沢永吉
♪いつかボク 君のもの
Don’t let me down
願いは彼女の言葉さ
Can’t you see♪
ジョニー大倉が発案した英語と日本語をミックスさせた歌詞や
ビートルズのハンブルク時代にインスピレーションを得たリーゼントと革ジャンのスタイルは注目を集め
そのファッションスタイルは
のちのクリームソーダのオーナー山崎眞行氏が最初に手がけた、当時最先端のライブハウス「怪人二十面相」でも話題となり
やがて原宿でロックンロールファッションとして一世風靡しました。(wikipedia参照)
涙のテディボーイ 【レアTV映像】
1974年2月、8thシングル 作詞 作曲 矢沢永吉
涙のテディーボーイ
「Eセット」「ヤマト」のバンド活動を経た矢沢永吉が
次なるバンドを作るべく
「ビートルズとロックンロール好きなヤツ、求ム!」と楽器店に貼り紙をし、新バンド【キャロル】のメンバー募集をかけたのが1972年4月。
2ヶ月後の6月に、バンド結成され
同年の12月にはもうレコードデビューしたのだから
矢沢の行動力、ジョニー大倉の感性
そして
【キャロル】というロックンロールの結晶を
時代が待っていたとしか思えないでしょう。
キャロル結成時にはすでに
矢沢はオリジナル曲100曲位は持っていたといいます。
その行動力は、その後も【涙のテディーボーイ】のような名曲をどんどん生んでいくのです。
ルイジアンナ(試作バージョン)
1975年4月、日本フォノグラム(フィリップス・レコード)は
キャロルの試作曲デモテープ音源や
未発表テイクを収録したドキュメンタリーアルバム【グッバイ・キャロル】をリリースしました。
その1曲目の
ルイジアンナ
うわぉ、ビートルズ?!みたいな衝撃が走るこのルイジアンナ試作英語バージョン。
英語といってもアバウト英語ですが(^^;)
僕的には通常の日本語盤よりこちらのバージョンが好きかもしれません。
これで試作という事は、デビュー前からこのクオリティ!
日本にまずこんなバンドはいなかったよなーと思わせるインパクト十分ではないでしょうか。
キャロルのヴィジュアルであるリーゼント&革ジャンのスタイルは、ビートルズのハンブルク時代の写真を見たジョニー大倉の発案によるもの。
たまたまフジテレビ番組「リブヤング」に出演していたキャロルをTVで観てブッ飛び
はやる気持ちでキャロルをスカウトしたミッキー・カーティスは
「漠然とやりたいと思っていたものを目の前で見せつけられた感じだった」と語っています。(wikipedia参照)
ファンキーモンキーベイビー~憎いあの娘
キャロルが1973年 TVK ヤングインパルスに出演した時の貴重映像
ファンキーモンキーベイビー~憎いあの娘
【ファンキーモンキーベイビー】はもう言わずと知れたキャロルの代表曲中の代表曲ですね。
そして、この映像ではジョニー大倉のいない3人での【憎いあの娘】。
ベースを弾きながら歌うだけでも大変なのに
3人でこれだけの音とグルーブを出せるのだから、キャロルひとりひとりの演奏力の高さを物語っているといえるでしょう。
キャロルは、結成して1972年8月から
横浜伊勢佐木町のディスコ「ピーナツ」でハコバンとしてスタート。
他、ゴーゴーホールやナイトクラブ、蒲田のキャバレーウラシマ等でドサまわりするなど
ビートルズのハンブルク時代のように
ハードな下積みを乗り越えてきただけの事はあるのです。
二人だけ
1973年5月、6thシングル
作詞 ジョニー大倉 作曲 矢沢永吉
ジョニー大倉の真骨頂であるスウィート・ヴォイスが月夜にこぼれる
不朽のラブ・ソング
二人だけ
♪たとえ今 遠くても
会いに行く うそじゃない
I need you I need you babe
月は輝いて Tenderly
君がまぶしくて Close my eyes
Oh… ♪
キャロルの「動」が矢沢なら、ジョニーは「静」。
エネルギッシュで力強い矢沢と、甘くて繊細なジョニー。
ジョニーが歌う「コーヒーショップの女の娘」「恋する涙」「ハニー・エンジェル」等の
スローやミディアムナンバーも、ハートがトロけるほど絶品なのがキャロルの魅力でしょう。
番格ロックのテーマ (録音風景レア映像)
1974年2月、8thシングル
番格ロックのテーマ
の、英語バージョン録音風景。
貴重な映像ですね~
作詞 ジョニー大倉 作曲 矢沢永吉
「静」と「動」の二人の感性が溶け合っていく
まるで、レノン/マッカートニー
もしくは、ジャガー/リチャーズが
デモ音源作成をしている世界を見ているようです。
ドキュメンタリー・アルバム【グッバイ・キャロル】を聴いてもわかるようにキャロルの曲は最初、
英語(アバウト英語)で作っているのです。
ビートルズやブリティッシュ・ビート等の
イギリスの洋楽っぽいテイストをイメージしていたのでしょうね。
ジョニー・B・グッド
1974年、ONE STEP POP FESTIVAL出演時の映像から。
原曲はチャック・ベリーの不滅のロックンロール
ジョニー・B・グッド
このライブ映像を観ると
この時代にこのノリ、ドライブ感、音、スタイル、アクション。
どれをとっても、もう理屈抜きにカッコいい!
どんな他のバンドよりキャロルはズバ抜けてたと思います。
ウッチャンのドライブするギター、タイトなドラムのユウ岡崎、
ジョニーの突き抜けるボーカル
そしてなんといっても矢沢のベース、
ブリブリ、トゥーン♪ トゥーン♪と、ポール・マッカートニーばりのベースの音がたまりません。
この時代にセンセーショナルな出現をしたキャロル。
この頃、コンサートはどこも満員で
GSブーム以来の失神者も出るほどパニック状態だったそうです。(wikipedia参照)
変わり得ぬ愛
1974年12月、10thシングルB面曲
変わり得ぬ愛
♪時がすべてを変える 消えた恋
君は変わり過ぎた 届かない
昔のように 甘い恋を 許されるなら 夢見たい♪
キャロル後期の名曲ですね。
他、この頃ジョニー大倉の歌う「ビブロス・ピープル」も名曲でしょう。
キャロル解散後、ジョニー大倉はソロ活動や俳優としても活躍しましたが
肺炎により惜しくも2014年11月
ロックンロールの星となり天国へ旅立たれました。(享年62歳)
2018年現在、息子であるケンイチ大倉、大倉弘也が
父親のロックンローラーDNAを継ぎ、【J-blood】と名付け
精力的に音楽活動中。
二人とも頼もしく、これから楽しみな存在です。
ラストチャンス
1973年、NHKディレクターだった龍村仁が制作したドキュメンタリー「キャロル」のTV放映に際して
NHK上層部からボイコットされたことが社会問題に。
それが結果的に、キャロル人気に更に拍車をかけ、コンサートでは軒並みソールドアウト。
そして、1974年は
山本寛斎ファッションショーでのライブのため、フランスのパリへ渡ったキャロル。
帰国後の全国ツアーでは、エキサイトしたファンの乱闘事件が多発。
京都の円山公園でのコンサートでは4000人のキャパを超える7000人が押し寄せ、大混乱になり重傷者3人、軽傷者8名を出す乱闘事件へと発展、
しだいにキャロル公演を拒否する会場が増えていくという社会問題となりました。(wikipedia参照)
その1974年12月
10thシングルリリース、A面曲の
ラストチャンス
♪Baby これが最後のチャンス
Baby 恋が燃え尽きそうな
信じられない All my love 人の心は
だから本当の答えをおくれ
せめて別れの時に♪
ヘイタクシー(キャロル・ラストライブ映像)
1975.4.13 キャロル解散ラストライブ
日比谷野音 燃えつきるキャロル ラストライブ
この日、キャロルの最後を観ようと、3000人収容の会場に7000人もの聴衆がつめかけました。
護衛を任せられたのが黒の軍団クールス(この頃はクールズ)。
そのクールスにも象徴されるように
革ジャン、リーゼント、バイク、サングラスのキャロルのスタイルは
暴走族のファッションとしても定着し、たちまち全国へ広がり社会現象を生むほどに。
とりわけ暴走族からの絶大な支持を集めたキャロル。
この【燃えつきるラストライブ】のビデオにも、舘ひろしや岩城滉一らの黒の軍団クールスが
国会議事堂あたりをバイクで乗り回すシーンが出てきます。
その中で
「ガッツ、ガッツ、ガッツ〜」と
村山一海が気合い入れて叫んでいる「ガッツ」が
僕も活動しているGUTSのバンド名の由来なのです。(←ハイ、余談です)
1975.4.13 キャロル解散ラストライブ
ラストのド最後は
演出ではなく、たまたま特殊効果用の火がセットに燃え移り
まさに文字通り、燃えつきるラストライブとなった日比谷野音。
その歴史的伝説のライブから
ヘイタクシー
まとめ
当時、キャロルの出現がいかにセンセーショナルだったか
リスナーだけではなく、どれだけのミュージシャンやバンド、そしてクリエイターの人々に影響を与えたか。
氷室京介、藤井フミヤ、高橋ジョージ、マックショウ、横山剣、ダイヤモンドユカイ、他、有名なミュージシャンは数え切れません。
現在、キャロルでYouTubeを検索しても今だにキャロルのコピーバンドが軒を連ねて投稿されてますし
また観たこともない当時のキャロルの貴重な映像が次々とアップされています。
それほど、これだけ人々をワクワクさせ、強烈なカリスマ性を持ったバンドは当時、日本にはいなかったのではと思うのです。
みなさま長らくおつきあいありがとうございました☆
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