ドッサウェイ☆ Like A Rolling Stone

おすすめ ソウルミュージック 名曲 60~70年代 人気曲 マイランキング 総集編

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みなさんどーも!UKです。

黒人音楽の歴史から派生したソウルミュージック

それは聴く人を日常の喧騒からひと時解放させ、異世界へと連れていってくれる魔法の音楽。

時にはメロウで切なく、また時には能天気に気分をアゲてくれる。

優雅でスマートだけど、実は奥が深いソウルミュージックの名曲の数々を

ヴィンテージフリークのワタクシUKが

黒人ソウルの歴史を辿りながらみなさまと楽しんでいこうというこのシリーズ。

また自身の<音楽ルーツ>を掘り下げ

原点を見つめ直すためのシリーズと言っても過言ではない【ヴィンテージ・マイランキングシリーズ】

今回は60〜70年代の【ソウルミュージック】をテーマにお贈りしていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

さ、【UKが選ぶソウルミュージック・マイランキング】

早速、第12位から発表してまいりましょう!

 

 

 

 

 




 

 

第12位   Let’s Stay Together   アル・グリーン

 

 

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において

第14位にランクされた黒人ソウルシンガー、アル・グリーン。

彼の代表作といってもいい

 

レッツ ステイ トゥゲザー

 

映画「パルプフィクション」でも使われたこの曲 Let’s stay togetherは

1971年にリリースされるや、翌年にはビルボードHOT100で1位を獲得。

また、ビルボードのソウルチャートで9週連続で1位を記録し、ゴールドディスクに輝きました。

この曲を作曲したアル・ジャクソンは、レコーディング時にドラマーへ常にこう言っていたといいます。

「Groove and be simple – not busy.」

(wikipedia参照)

そうです。ドラムは「シンプルに」というのがソウルミュージックの良いところのひとつでもあると思ってます。

シンプルなビート、シンプルなグルーブ。

でも奥深い、味わい深い。

黒人にしか出せないタイム感は次第に好物になり、気づけばソウル・ビートにハマっていってしまうのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続いて第11位は

フィラデルフィア発のソウルミュージック、通称フィリー・ソウルを代表するアーティストのひとり

ビリー・ポールの曲から。

 

 

 

第11位  Me and Mrs jones  ビリー・ポール

 

 

12歳でキャリアをスタートし、ジャズやポップスのシンガーとして活躍するもヒット曲に恵まれず、一時期兵役を経て

ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルーノーツに在籍していたビリー・ポール。

そののちフィラデルフィア・ソウルの名作曲家ギャンブル&ハフとタッグを組む事になり

1972年にリリースしたその3作目のアルバム

「360Degree of Billy Paul」からのシングルカット

 

ミー・アンド・ミセス・ジョーンズ

 

この曲が全米で200万枚売り上げ

センセーショナルな話題を呼ぶことになりました。

 

それは詩の内容が

「不倫」をテーマにした歌という事もインパクトとして大きかったのです。

 

世の人々は、実はそういう「不倫」の願望が少なからずあるということなのでしょうか。

 

ビリーポールは享年81歳、2016年に天国へ旅立ちましたが

メロウで甘く美しいこの曲は

マーヴィン・ゲイ、ダリル・ホール、鈴木雅之、等

多数のアーティストからカバーされ

現在でも愛され生き続けています。

 

 

「Me and Mrs. Jones」は、累計200万枚を売り上げる大ヒットとなり、1972年末のビルボードで3週連続No1を獲得。さらに翌73年のグラミー賞、アメリカン・ミュージック・アワードなどの主要な音楽賞も受賞。全英シングルチャートでも最高12位にランクインするなど、世界的にもヒットした。

< Wikipediaより>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ソウルとR&Bの違い

 

【ソウルミュージック】と【R&B】の違いというか、線引きは一般的には曖昧です。

ゴスペル(黒人霊歌)やブルースから発展した【ソウル・ミュージック】は基本的には【R&B】の一種。

【R&B(リズム&ブルース)】とは、リズム、ビートに乗りブルースを歌うのが特徴で、40年代頃から使われた用語。のちに生まれるロックンロールにも多大な影響を与えることとなります。

1960年以降、黒人由来の音楽が広範囲に大衆音楽、流行歌等のポピュラーミュージックと認知され

新しいアメリカ黒人音楽のスタイルとして自然発生的に【ソウル・ミュージック】と呼ばれるように。

音楽的にソウルとR&B(リズム&ブルース)のはっきりした境界線はないので、レコード店では<ソウル/R&B>と表記される事が多いのです。(wikipedia参照)

 

 

 

さ、UKが選ぶソウルミュージック・マイランキング

 

第10位は

 

 

 

 

 

第10位  Killing me softly with his song  ロバータ・フラック

 

 

ノースカロライナ州アッシュビルに生まれ、クラシックの教育を受けて育ったロバータ・フラックは

魂に響く歌声、かつ繊細でクールで

ジャズの要素も併せ持つピアニスト兼シンガーソングライター。

ナイトクラブでドサまわりしていたロバータに目が止まったジャズ・ミュージシャンがレコード会社に紹介し1969年デビュー。

1972年、映画の主題歌になった

「愛は面影の中に」や

ダニー・ハサウェイとのデュエット

「恋人は何処に」が全米1位。

2曲ともゴールドディスクを獲得という快挙を成し遂げました。

 

その翌年にリリースした

 

やさしく歌って(Killing me softly with his song )

 

も全米1位。

今度はグラミー賞3部門を受賞する事となります。

この曲、日本でもネスカフェのCMソングとして馴れ親しんでますね。

 

以後、

ビーボ・ブライソンとのデュエット

「美女と野獣」の中でも使われた「愛のセレブレイション」がヒットしたり

また日本で平井堅、ナベサダと共演したり

高橋真梨子のカバーアルバムを出したりと

 

日本にも数々の功績を残す偉大なソウルアーティストのひとりなのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1960年から黒人音楽のヒット曲を量産したモータウン・サウンド

ソウルミュージックを語る上で欠かすことのできないそのモータウンについて触れてみたいと思います。

 

 

 

 

 

モータウン

 

アメリカミシガン州、デトロイトから発祥したレコードレーベル【モータウン・レコード】。

モータウンとは自動車産業の街デトロイトらしくmoter townの略。

モータウンレーベルを設立したベリー・ゴーディ・ジュニアが1960年から1969年の間、Billboard Hot 100のトップ・テンに79曲もランクインさせるほど、ポップな要素を打ち出したソウルミュージックのスタイルを「モータウン・サウンド」と呼びました。

 

ポップでエレガントでダンサブルな黒人の「モータウン・サウンド」

代表的なアーティストは

「ゲット・レディ」のテンプテーションズや、ダイアナ・ロスが在籍していた「恋はあせらず」のシュープリームス、「プリーズミスターポストマン」のマーヴェレッツ

ほか、ジャクソン5、フォートップス、ミラクルズ、マーサ&ザ・バンデラス、マーヴィン・ゲイ、スティービー・ワンダー、等

 

 

 

 

 

 

ソウルミュージックマイランキング第9~7位は

そのモータウンレーベル傘下にいたアーティストの曲を。

 

 

 

 

 

 

第9位  Ain’t no woman ( like the one I got ) フォー・トップス

 

 

1953年にミシガン州デトロイトで結成して以来、メンバーの一員が亡くなるまでの44年間、メンバーチェンジは一度もなかったほどの結束力をもった男性ヴォーカルグループ【The Four Tops】

 

1963年にベリー・ゴーディに見出されモータウンと契約してからは

1965年「シュガーパイ ハニーバンチ」全米1位

続いて1966年「リーチアウト・アイル・ビー・ゼア」も全米1位の大ヒットを放ち

この2大ヒットナンバーは、フォートップスの代表曲として現在でも親しまれ続けています。

 

今回は、ABCレコードに移籍してからの1973年ヒット曲

 

エイント・ノー・ウーマン

 

メロウな曲なのに、やはり野太く迫力あるリード・ヴォーカルが特徴的なリーヴァイ・スタッブス。

後年、ミュージカル映画の「リトルショップホラーズ」等の声優や、他に俳優としても活躍します。

1990年に【フォー・トップス】としてロックの殿堂入りを果たし

2008年、72歳で天国へ旅立つまでに

このグループを脱退してソロに転じる事など眼中にないリーヴァイの姿勢や実力、そして現在でも続く【フォー・トップス】の人気は

絶賛に値するグループではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第8位  Dancing in the street  マーサ&ザ・ヴァンデラス

 

 

かつてレコードはリリースした事はあったマーサ・リーブス。

モータウンの会社秘書として入社し

【モータウン・レーベル】からのデビューのチャンスを伺っていた彼女が

メリー・ウェルズの代役を務めた事がチャンスになり

【マーサ&ザ・ヴァンデラス】としての再スタートで、次々とヒットを飛ばす事に繋がります。

1963年に「ヒートウェイブ」が全米4位の大ヒット。

その後、1964年に発表した

 

ダンシング・イン・ザ・ストリート

 

この曲は全米2位を獲得し、マーサ&ザ・ヴァンデラスは目まぐるしくトップスターに登りつめました。

 

ダイアナ・ロスが在籍する女性グループ【シュープリームス】が現れてからは

モータウンNo.1の座を追われる事になりますが

この曲は後年、

キンクスやママス&パパス、ヴァン・ヘイレン、ミックジャガーとデビッドボウイのデュエット等、

モータウンの曲の中でも最も多くのアーティストにカバーされたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第7位  Ain’t No Mountain High Enough ダイアナ・ロス

 

 

ダイアナ・ロスはモータウンを代表するBIGな黒人女性歌手で今や大御所というか、もう神ですよね。

シュープリームスに在籍していたそのDiana Rossがソロになってからのバージョン

 

エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ

 

 

1967年にモータウンレーベルから発表されたマーヴィン・ゲイとタミー・テレルのデュエットバージョンもゴキゲンですが

今回はダイアナ・ロスバージョン。

 

映像は2017年のコンサートから。

2015年の来日公演を見逃して後悔してたのでお元気そうでよかった。

 

1970年、ダイアナがソロになって初リリースした同タイトルアルバム「Ain’t No Mountain High Enough 」からのシングルカットに関して、当初はベリー・ゴーディもアレンジを気に入ってなかったのですが

「Ain’t No Mountain High Enough 」ダイアナ・ロスのソロ・シングルは

 

Billboard Hot 100と『ビルボード』のR&Bシングル・チャートの両方で1位を獲得し、『ビルボード』のアダルト・コンテンポラリー・チャートでは6位を記録した。第13回グラミー賞では最優秀女性コンテンポラリー・ボーカル・パフォーマンス賞にノミネートされた。

(wikipediaより)

 

やはりダイアナの声、2017年の今でも神ってますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【ダイアナ・ロスといえばこの曲でしょ】 DIANA ROSS 名曲 ヒット曲 おすすめ マイフェイバリット・チューン

2018年10月24日

 

 

 

50年後半〜70年代のソウル・シーンには、

【モータウン・レコード】のライバル・レーベルとして

【スタックス・レコード】が存在しました。

 

 

 

 

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スタックス

 

アメリカテネシー州メンフィスに拠点を置くスタックス・レコードは、

「ドック・オブ・ザ・ベイ」のオーティス・レディング、「ホールド・オン」のサム&デイブ、「ダンス天国」のウィルソン・ピケット等の数々のヒットアーティストを輩出しました。

ほか、ブッカー・T&ザ・MG’s、ルーファス・トーマス、アルバート・キング、アイザック・ヘイズ、etc

 

 

 

 

 

 

明るくダンサブルなモータウン「ノーザンソウル」とすれば、

それに対し

南部のリズム&ブルース色濃いスタックス「サザンソウル」とも呼ばれました。

 

どっちかというと、ディープで通が好みそうなスタックス

 

UKが選ぶソウルミュージック・マイランキング

第6位はそのスタックスからの一曲を。

 

 

 

 

 

 

 

第6位 Try A Little Tenderness オーティス・レディング

 

 

 

「ローリングストーン誌が選ぶ歴史上最も偉大なシンガー」において

第8位のオーティス・レディング

代表曲の「ドック・オブ・ザ・ベイ」はあまりにも全世界で愛される名曲。

 

今回は1966年の代表作

 

トライ・ア・リトル・テンダネス

 

「ほんの少し 優しくしてあげて」と歌うこの美しいラブソングは

元々はビングクロスビーやフランクシナトラもカバーしたスタンダードナンバー。

 

この翌年の1967年、オーティスは

白人ロックミュージシャンばかりのモントレーポップフェスティバルに黒人ソウルシンガーとして出場しますが

人種の垣根を取り払う名演で大絶賛評価を浴びる事となりました。

 

 

しかし同年12月、ショッキングな事に自家用飛行機の事故により26歳という若さで帰らぬ人となるのです。

 

 

事故の3日前に録音された「ドック・オブ・ザ・ベイ」は、翌年のビルボードで、週間ランキング第1位を獲得し、オーティスにとって唯一のビルボード誌週間ランキング第1位の曲となった。(wikipediaより)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時は遡り、ソウルミュージックへと発展するルーツになったゴスペルについて少し語ってみたいと思います。

 

 

 

ゴスペル

 

ゴスペルとは簡単に言うと、アメリカで黒人が集まる教会で歌われている歌です。

誰か一人が歌い出せば全員が手拍子を取り、声を合わせて歌い出す、あの映画「天使にラブソングを」のような光景を思い出しますね。

 

ゴスペルはルーツを辿れば、17世紀にアフリカからアメリカへ強制的に奴隷として送られた黒人が神に救いを求め、賛美歌を捧げたスピリチュアルズと言われる「黒人霊歌」が基盤となり、

そこからブルース等、様々な音楽と混ざり合い「ゴスペル」が形成されました。

 

ゴスペル出身のサム・クック、レイ・チャールズ、ジェームス・ブラウンらは、ゴスペルとR&Bを咀嚼しながら発展させ、ソウル・ミュージックと呼ばれる新しいジャンルを開拓した。<wikipediaより>

 

 

ソウルミュージックマイランキング第5~4位はゴスペル出身のソウルシンガーの曲を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第5位  (You make me feel like)A Natural Woman  アレサ・フランクリン

 

 

「ローリングストーンが選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」栄えある堂々の第1位。

サザン・ソウルとしてはオーティス・レディングと人気を二分し

【クイーン・オブ・ソウル】

【レディ・ソウル】の名を欲しいままにしたアレサ・フランクリン

 

そのアレサの母は「全米で最も優れたゴスペル歌手のひとり」と称され、父は牧師という環境で育ったアレサは幼い頃から大いに「ゴスペル」の影響を受けました。

 

1961年にデビューするも大きくは売れない時期を経て

66年アトランティックレコードに移籍してからは、前レコード会社で封印されていた「ゴスペル・フィーリング」を打ち出し、ヒットを連発。

1972年に発表した「アメイジング・グレイス」は『最も売れたゴスペルアルバム』として認定され、アレサはグラミー賞 最優秀ソウル・ゴスペル・パフォーマンス賞を受賞しました。

このアルバムは200万枚以上売れ、40年以上経った現在でも記録は破られていません。

 

持ち味のゴスペルフィーリングを打ち出した「明日を架ける橋」「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」も素晴らしいですが

 

ホイットニーヒューストン、セリーヌディオン等、数々のアーティストから愛されカバーされたキャロルキングの名曲

 

ナチュラル・ウーマン

 

は、やっぱりもっと好きだ〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのアレサ・フランクリン2018年8月16日

享年76歳

膵臓がんのためお亡くなりになりました。

 

世界はまた偉大なソウルの巨人を失くしました。

 

R.I.P.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第4位  A Change Is Gonna Come  サム・クック

 

 

「ローリングストーンが選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」第4位のサム・クック。

クレイジーケンもカバーする「ワンダフルワールド」やオールディーズ業界王道の「ツイストで踊り明かそう」等

ゴスペルをルーツに持つサム・クックが、白人向けのポップスを中心にソングライターとしても人気を得ていましたが

ある日、ボブ・ディランの「風に吹かれて」に影響を受け

自分が人種差別に関する痛切な楽曲を書いてない事を悔しく思い

「いつかきっと変化は訪れる」と

人種差別はびこる社会を変えたいと強く願い、メッセージに込め創られた

 

ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム

 

そんなサム・クックに憧れ、師と仰ぎ背中を追っていた人の中にオーティス・レディングも。

数多くのアーティストからもリスペクトされていたサム・クックですが、1964年12月にモーテルで撃たれ不慮の死を遂げ33歳の若さで帰らぬ人となるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ソウルの巨人たちが音楽史に残してきた功績は計り知れないですね。

 

 

 

さ、UKが選ぶソウルミュージックマイランキング

いよいよベスト3の発表です。

 

 

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第3位  Georgia On My mind  レイ・チャールズ

 

 

盲目の音楽家、レイ・チャールズ

「ローリングストーンが選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」第2位。

「ソウルの神様」または「ソウルの巨人」と呼ぶに相応しいレイ・チャールズ

R&Bやゴスペル、黒人霊歌などのブラックミュージックを「ソウル・ミュージック」のスタイルに昇華させ黒人大衆音楽の発展に貢献したひとりであります。

それまで自身のバンドでドサまわりを続けてましたが、1959年メジャーのアトランティック・レコードからオファーされリリースした「ホワッド・アイ・セイ」は初のミリオンセラーを記録し、

次に契約したABCレコードでリリースした「我が心のジョージア」は1961年にミリオンセラー。

そのジョージア州の州歌として制定されたこの曲

 

ジョージア・オン・マイ・マインド

 

この曲からも伝わってくる深みのある声と音楽的才能溢れるレイ・チャールズですが

一方でドラッグと女性にまみれた凄まじい生き様を、伝記映画「RAY」で知ることができます。

サントリーウィスキーのCMで「いとしのエリー」を歌っていたのがつい最近のように思えますが

享年73歳、世界は「ソウルの巨人」を失くしてしまいました。

 

2004年6月10日に肝臓癌で死去。73歳だった。完成された映画「RAY」を観ることは出来なかった。また、彼をリスペクトするアーティストによる「音楽葬」が行われたことも話題となった。2005年2月13日、第47回グラミー賞授賞式では、ノラ・ジョーンズとのデュエット曲「ヒア・ウィ・ゴー・アゲイン」が最優秀レコード賞となったほか、最優秀アルバム、ポップス・ボーカルやゴスペルなど、計8部門で受賞した。< Wikipediaより>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さ、ソウルミュージックマイランキング第2位は

 

モータウン社長ベリー・ゴーディから才能を見出されてからはソウル・シーンの第一線で活躍。

 

しかし、人気を得た一方で苦悩をも負い続けた、ソウルを語る上で避けては通れない波乱万丈のアーティスト。

 

 

 

 

 

 

 

 

第2位  Mercy Mercy Me  マーヴィン・ゲイ

 

「ローリングストーンが選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」第6位

マーヴィン・ゲイの代表曲【ホワッツ・ゴーイン・オン】といえば

その洗練さと華麗なる曲調であまりにも愛され続ける楽曲ですが

詩の内容はベトナム戦争に対するメッセージソング。

 

1971年5月に同タイトルのアルバム【What’s goin on】を発表しますが、

同年6月にこのアルバムからシングルカットされた

 

マーシー マーシー ミー

 

も、環境汚染や社会問題を歌ったもので、このアルバム全体には一貫して社会的メッセージが込められました。

 

 

そういう社会的問題をテーマにしたコンセプトアルバムを発表したり

 

自らのセルフ・プロデュースで会社の方針と反してでも、自分の表現をやってのけたのは当時、黒人ミュージシャンでは画期的であり

それは今までになかった【ニュー・ソウル】として確立、位置づけをされました。

 

マーヴィンの思想はやがて、カーティス・メイフィールドやダニー・ハサウェイ、スティービー・ワンダーらの黒人アーティストを触発させ、個の表現を生み出させる【ニュー・ソウル】の旗手となり、受け継がせる事となったのでした。

 

 

しかし、

音楽の成功の裏には2度の離婚問題やドラッグ依存、破産等、

精神的な苦悩を負い続け

最期は父親から射殺されるという悲劇で人生の幕を閉じる事となるのです。

 

 

 

1984年4月1日の12時半頃、自宅で両親の喧嘩を仲裁した際に父マーヴィン・シニアと口論になり、激昂した父が拳銃を発砲、2発の銃弾がそれぞれ胸部と肩に命中し、病院に運ばれる前に死亡した。皮肉にもその日はマーヴィンの45回目の誕生日の前日にして、彼が敬愛したサム・クックと同じ死に方でもあった。また、父が使用した拳銃は生前に息子からプレゼントされたものであった。

< Wikipediaより>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

UKが選ぶソウルミュージック・マイランキング

いよいよ残す第1位は!!

 

 

 

11歳の時に契約して以来、モータウンのアーティストとして活躍を続け

計22部門もの最多受賞回数を獲得したグラミー賞受賞アーティスト!

 

 

 

 

 

 

 

 

第1位  Lately スティーヴィー・ワンダー

 

 

「ローリングストーンが選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」第9位

スティーヴィー・ワンダー

 

レイトリー

 

モーグ・シンセサイザー、トーキング・モジュレーター等の新機器をいち早く取り入れたり

ドラマーとしても凄く目を見張る才能で

レイ・チャールズ然り、盲目のアーティストは感覚が異様にズバ抜けてるのでしょうね。

 

「迷信」「心の愛」「パートマイムラバー」「イズントシーラブリー」「愛するデューク」

愛するデュークのデュークはジャズのデューク・エリントンの事。(キャラバンの作曲者)

彼をリスペクトするスティーヴィーは

数々のBIGヒットを生み出し

全楽器パートを一人で創るというチャレンジも辞さない冒険家。

 

 

偉大なソウルアーティストが次々と天国へと旅立つ中

現在も健在で、現役バリバリのソウルの神と同じ時代に生きている事を幸せに感じます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いや~やっぱり音楽っていいものですね~

【UKが選ぶソウルミュージック・マイランキング】楽しんでいただけましたでしょうか?

 

 

 

まだまだ紹介したい曲は山ほどあります。

黒人音楽へのリスペクトはとどまることを知らないのでまた続編もあるかもしれません。

 

これだけソウルを聴いているとお酒呑みたくなりますよね。

 

ではではみなさん、GOOD MUSICとともにいい夜をお過ごしください。

 

長らくお付き合いいただきありがとうございました☆

 

 

 

 

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