ドッサウェイ☆ Like A Rolling Stone

レイ・チャールズ RAY CHARLES 名曲 人気曲 おすすめマイフェイバリット・チューン

 

 

 

 

 

 

 

みなさんどーも!UKです。

 

今回のマイフェイバリット・チューンは

USAジョージア州出身、

「ソウルの神様」「ソウルの巨人」として、その功績を全世界に残し

「ローリング・ストーン誌が選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」で2位に輝くアーティスト、

 

 

 

 

RAY CHARLES

 

 

 

5歳の時に緑内障になり、7歳で盲目になるというハンディを追いながらも

ゴスペル、ブルース、カントリー、R&Bを、自らのフィルターを通し

新しいブラックミュージックの原型を築き

ソウルミュージックの先駆者として、世界中に強い影響力を与えた

レイ・チャールズ マイフェイバリット・チューンをお届けします

 

 

 

 

 

 

 

 

アンチェイン・マイ・ハート  Unchain My Heart

 

 

 

1961年 レイ・チャールズのヒットナンバー

アンチェイン・マイ・ハート  (Unchain My Heart)

全米ポップシングルチャート9位、R&Bシングルチャートで1位。

バックコーラスのレイレッツのコーラスも印象的な、レジェンド的ソウルナンバー。

タイトルにもなっている「Unchain my heart=僕を縛らないで」という歌詞は

黒人への差別的なものから来るものなのか、女性に対する感情のものなのか、

サム・クック等の曲にもあるように、この当時の黒人音楽には多い気がします。

「ローリングストーン誌が選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」で

レイ・チャールズが第2位に選ばれているのが証明しているように

盲目ゆえの研ぎ澄まされた感性、声、ピアノ、楽曲は

やはり「ソウルの巨人」と呼ぶにふさわしいアーティストですね。

数多くのアーティストからもリスペクトされ

1987年には、ジョー・コッカーのカヴァーでリバイバルヒットにもなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホワッド・アイ・セイ  What I’d Say

 

 

 

1959年のヒットナンバー

ホワッド・アイ・セイ  What I’d Say

全米チャート6位、R&Bシングルチャート1位。

ラテン風なリズムに、歌とコーラスの掛け合い(コール&レスポンス)も熱いキラーチューン。

レイ・チャールズの最初のゴールドレコードとなり

当時、契約していたアトランティックレコードで最も売れた曲となったのでした。

途中でのレイ・チャールズと女性バックコーラス隊「レイレッツ」の掛け合い(コール&レスポンス)の部分は

ショーの本番中に思いついて試したものが、こういう形になったとか。

そのショーでは、ついには観客も巻き込んでのコール&レスポンスへと発展させ熱狂させたみたい。

ビートルズの「Money」や、ザ・フー「My Generation」等にも見られるように

その後のポピュラーミュージックでも多用されるこのコール&レスポンスの手法は

このブラックミュージックから普及していった歴史だったみたいです。

のちにロックの殿堂は、この曲を

「ロックンロールを形成した100曲」のうちの1曲として取り上げるほど、

R&Bやロックンロールの歴史の中で大きな影響力を与えました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

愛さずにはいられない  I Can’t Stop Loving You

 

 

 

1962年の大ヒットナンバー

愛さずにはいられない  I Can’t Stop Loving You

全米チャート、R&Bチャート共に1位。

アルバム「I Can’t Stop Loving You」もミリオンセラーをたたき出し、

移籍したレコード会社ABCパラマウントにとっては、初のゴールドディスクを獲得する事となりました。

ブルージーでありながら、バックのオーケストラが品が漂わせるバラードですね。

原曲はカントリー歌手のドンギブソンの作品(1957年)。

カントリー・ミュージックには、レイの少年期から思い入れがあり、

レイはレコード会社の反対を押し切り、念願のカントリーアルバムを制作。

その曲を選んできたプロデューサー、シド・フェラーによる尽力も大きいが

レイは白人音楽との境界線なしに、純粋にカントリー・ミュージックを取り入れるトライをやってのけたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

メス・アラウンド  Mess Around

 

 

 

1953年 レイ・チャールズの最初のヒット・ナンバー

メス・アラウンド  Mess Around

R&Bチャートで大ヒット。

「めちゃくちゃ」とか「混乱」という意味のタイトルのこの曲、

思わずダンスフロアで踊り出させるようなノリノリゴキゲンなナンバーですね。

この曲の作者であるアーメット・アーディガンは、アトランティックレコードの社長兼創設者。

その彼が、レイにこの曲をブギウギ調にアレンジのアドバイスをして、

ヒットに繋がったのが、映画「RAY」のシーンでもありましたね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

我が心のジョージア  Georgia On My Mind

 

 

 

 

1960年 レイ・チャールズの大ヒットシングル

我が心のジョージア  Georgia On My Mind

全米チャート1位。

缶コーヒーのCMでもよく聴かれた

郷愁を感じさせるソウルフルでブルージーな曲ですね。

原曲はスターダスト等のジャズのスタンダードナンバーで有名な

ホーギー・カーマイケルが1930年に作曲、作詞はスチュアート・ゴレル。

そのジャズのテイストを残しつつ、

ジャンルを超えたアレンジをやってのけるレイ・チャールズは

新しいソウルの歴史を築いていきます。

「我が心のジョージア」が大ヒットし、その翌年に

故郷ジョージアでの凱旋公演で、白人と黒人を別の席にしているのを知ったレイは

そのコンサートをキャンセルしました。

ジョージア州議会はそんなドタキャンしたレイをジョージア州から永久追放。

しかし、のちには州議会はレイに謝罪し、和解され

1979年にはジョージア州歌に制定される事になったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

To Be Continued..