みなさんどーも!UKです。
イギリスのロックバンドを描いた映画『ボヘミアン・ラプソディ』が公開されるや異常な人気を呼び社会現象にまでなっていますね。
当時を知らない若い世代までもがリピーターになり夢中にさせているロックバンド
QUEEN(クイーン)
ヴォーカル フレディ・マーキュリー
ギター ブライアン・メイ
ベース ジョン・ディーコン
ドラムス ロジャー・テイラー
1971年イギリスのロンドンで正式結成し、1973年デビューから1991年にフレディ・マーキュリーがこの世を去るまでに
この4人でメンバーそれぞれが作詞作曲をし、15枚のスタジオアルバムの他、数多くのベストアルバム、ライブアルバムを世に送り出し、ハードロックからオペラロック、ピアノロックからダンスミュージック等、スタイルの変化を恐れず大胆にチャレンジを続け、伝説を築き上げてきたQUEEN。
そのクイーン・マイフェイバリット・チューンでお贈りしたいと思います。
※映画『ボヘミアンラプソディ』ネタバレ含みます
目次
伝説のチャンピオン
勝利を彷彿させるキャッチーなメロディが印象に残るQUEENの1977年のヒット曲
伝説のチャンピオン(We Are The Champions)
「ウィ・ウィル・ロック・ユー」と両A面としてシングルリリースされ
アルバム『世界に捧ぐ』でも2曲繋がって収録されたこの曲は、クイーンのライブに於いてもお約束のように「ウィウィル~伝説の」と2曲続けて演奏されました。
みんな一人ひとりが人生のチャンピオンなのです。
人生に困難は付きまといますが歯を食いしばって立ち向かって行こうと思わせる曲ですね。
マイ・ベスト・フレンド
1975年QUEENのアルバム『オペラ座の夜』から
マイ・ベスト・フレンド(You’re My Best Friend)
ベースのジョン・ディーコンが作詞作曲したこの曲は、ディーコンの妻に捧げるために作られました。
イントロからのエレクトリック・ピアノもディーコンが担当。
穏やかな性格のディーコンらしいポップで落ちついたナンバーですね。
「ベストフレンド」は友人でも家族でも妻でもペットでも、自分が一番大事にしているもののたとえで書かれ
「君がいるから僕は生きていけるんだ」というディーコンの心優しくハートフルな曲です。
レディオ・ガガ
1984年クイーンのドラムのロジャー・テイラーが作曲し
アルバム『The Works』に収録された レディオ・ガガ(Radio Ga Ga)
音楽少年だったロジャーがラジオを通じて色んなことを教わった古き良き時代をノスタルジックに歌ったそのレディオ・ガガは映画『ボヘミアン・ラプソディ』のライブエイドのシーンで「ボヘミアン・ラプソディ」に続く2曲目に演奏。
観客が一体となり手を上げてハンドクラップするスタジアムの壮大な場面にはグッとさせられました。
アメリカ女性歌手のレディー・ガガの名前はこの曲名が由来。
ドント・ストップ・ミー・ナウ
クイーンの1979年リリース7thアルバム『JAZZ』に収録された曲
ドント・ストップ・ミー・ナウ (Don’t Stop Me Now)
映画『ボヘミアン・ラプソディ』のエンディングロールでこの曲が流れた時、館内はどれだけの観客の涙で溢れかえったでしょう。
中学生の頃にヒットしていたクイーンの「バイシクル・レース」を聴くために買ったアルバム『JAZZ』に収録されていた「ドント・ストップ・ミー・ナウ」
クイーンにしては軽快でポップなナンバーだった事に驚いたのを思い出します。
映画でフレディの歴史や事実を知れば知るほど、この曲の歌詞も気になってきます。
そこにはやはり、フレディが当時「僕を止めないで」という破天荒な生き方が浮き彫りになってきますね。
今夜 僕は本当に楽しい時間を送るつもりさ 生きてるって実感してる
世界だってひっくり返しちゃうんだ 快楽の海に漂っているんだだからいま 僕を止めないで 僕を止めないで
だって 僕は楽しんでいるんだ ほんとに楽しい時を過ごしてるから
フレディもまたパーティが大好き過ぎて、毎日がハイパーな「パーリーピーポー」だったのでしょう。
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愛にすべてを
1976年のアルバム『華麗なるレース』より
愛にすべてを(サムバディ・トゥ・ラブ)
ゴスペルチックにオーバーダビングされたコーラスが特徴的ですね。
QUEENの代表曲「ボヘミアン・ラプソディ」でもそうですが、メンバーがコーラスを何度も何度もテープが擦り切れる限界まで重ね合わせてレコーディングされ、100人以上いるような分厚いコーラスにしあげています。
映画『ボヘミアン~』でもそのコーラスをドラムのロジャー・テイラー何度も何度もが吹き込んでいるシーンも。(ネタバレ御免)映画とはいえ実際にフレディ・マーキュリーはこと曲作りに関して繊細で妥協を許さなかったんだろうなという姿勢が垣間見れました。
そのQUEENが「ボヘミアン・ラプソディ」以降にレコーディングした愛にすべてを(サムバディ・トゥ・ラブ)のコーラスワーク映像を。
炎のロックンロール
1973年QUEENのデビュー曲 炎のロックンロール(Keep Yourself Alive)
1stアルバム『戦慄の王女』に収録、作詞 作曲は ブライアン・メイ。
QUEENが結成される前、その前身となる、ギターにブライアン・メイ、ドラムのロジャー・テイラー、ヴォーカル&ベースにティム・スタッフェルの「スマイル」というバンドがありました。
ティムが他のバンドへ加入するため脱退した後にフレディ・マーキュリーが加入し、ブライアンとロジャーとフレディでQUEENの土台が出来、活動をスタート。
残るベース探しには数人のベーシストセッションを行い、のちにジョン・ディーコンが正式に加入。
1991年フレディ・マーキュリーが死去するまで、この4人はメンバーチェンジすることなく世界的なロックバンド「QUEEN」として飛躍し活動し続けました。
その輝かしいヒストリーの幕開けともなるQUEENのレコードデビュー曲「炎のロックンロール」。
ラブ・オブ・マイ・ライフ
1975年4thアルバム『オペラ座の夜』に収録
ラブ・オブ・マイ・ライフ
フレディ・マーキュリー作曲のこの曲は、当時の妻メアリー・オースティンへの気持ちを歌った曲とされています。
映画『ボヘミアン~』の中のセリフで、うろ覚えですが「あなたはゲイよ。でもあなたは悪くないから余計辛い」と、以降フレディとは離婚し友人として見守っていくメアリーの言葉が残ります。
下のQUEENライブ映像はブライアン・メイの12弦ギターの音色が美しい。
その音に寄り添うように歌うフレディ。そして観客の歌声。ジ~ンときますね。
ウィ・ウィル・ロック・ユー
1977年QUEENのアルバム『世界に捧ぐ』に収録され「伝説のチャンピオン」と両A面でシングルリリースされた
We Will Rock You
QUEENはオーディエンスも参加させステージで一体になれるバンドを目指しました。
ドンドンパン! ドンドンパン!
低くパンチのあるドラムの音が印象的ですね。
その当時、僕がハードロック少年だった頃は、ドラマーでいえばイアン・ペイス(Deep Purple)とかボンゾ(Led Zeppelin)とかコージー・パウエル(Rainbow)が大好きで、自分のスネアのチューニングもカンカンしたハイピッチ気味にしていました。
どちらかというとロジャー・テイラーのあの低いローピッチで全体にベタっとしたドラムの音はそこまで好みではありませんでした。
なのですが、当時人気だった音楽雑誌に「ミュージック・ライフ」ってありましたよね。
ある日それを読んでいたら「ファンが選ぶドラマー・ランキング」というコーナーがあって、そこにはコージーとかボンゾを軽く押しのけ、ランキング1位を飾っていたのは、クイーンのロジャー・テイラーなのでした。
コージーとかボンゾを<神>と思っていた僕はその事に納得がいかず「結局ルックス重視か?」みたいな風潮にがっかりする傍ら、なぜか注目をすることにし、意識しはじめたのを覚えています。
だから現在の僕のスネアチューニングが低めのローピッチになったのかどうかは、、私のみぞ知る。。(汗)
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セイブ・ミー
1980年のアルバム『ザ・ゲーム』に収録された
セイブ・ミー(Save Me)
美しいメロディで始まるもサビになると力強く「僕を救い出して」と歌うこの失恋の歌はギターのブライアン・メイが作詞作曲。
そのサビからの重厚なバックサウンド、そしてコーラス、ギターのオーケストレーション奏法、
やはりこの独特のローピッチでパンチのあるドラム!
一発でクイーンの音とわかる独特のバンドサウンドではないでしょうか。
地獄へ道づれ
1980年のアルバム『ザ・ゲーム』より
地獄へ道づれ(Another One Bites the Dust)
映画『ボヘミアン〜』でもこの曲取り上げられましたが、時は80年代。ついにQUEENも全世界で流行しているディスコビートを取り入れようとの提案に、劇中では難色を示すメンバーをはねのけながらも完成したこの曲でした。
結果、世界的に大ヒットしセールスは200万枚を越えるクイーン最大のヒット曲となったのです。
作詞作曲はベースのジョン・ディーコン。
CHICの「グッドタイムス」を彷彿とさせるベースラインが印象的ですね。
ジョンはCHICのメンバーと交流があったらしいので、そうとう彼らのサウンドをリスペクトしていたのでしょう。
心の絆
QUEENの1986年アルバム『カインド・マジック』より
心の絆(Friend Will Be A Friend)
ジョン・ディーコンとフレディ・マーキュリーの共作
映画『ボヘミアン~』にはこの曲出てきませんでしたが、バンドの解散のピンチを乗り越え
「友達は何があっても友達」と歌うこの曲もQUEEN後期の名曲。
ボヘミアン・ラプソディ
1975年クイーンの4thアルバム『オペラ座の夜』からのシングルカット曲
話題の映画タイトルにもなった
ボヘミアン・ラプソディ(Bohemian Rhapsody)
途中でオペラのような展開をはさむ6分ものこの大作「ボヘミアン・ラプソディ」は
強烈な歌詞から始まります。
ママ、僕はたった今、人を殺してきたんだ
あいつの頭に銃を突きつけて引き金をひいたらあいつは死んじまった
という戦慄が走る歌詞。
しかし真の意味の【あいつ】とは自分の事だったのですね。
今までゲイであることを隠していたフレディ自身の苦しみだったのでしょう。
「現実と向きあわなきゃ」「僕は死にたくないんだ」「僕なんか生まれてこなけりゃよかった」
あらためて歌詞を見直してみると
ゲイであることの壮絶な苦悩を描いた曲だった事に絶句してしまいました。
ゲイであるからこその鋭い感性、芸術性の高いフレディ作の楽曲「ボヘミアン・ラプソディ」は
1975年にイギリスで9週連続1位となり、その後数週間に渡ってトップ10にランクイン。世界中の国々でも1位を連発。
2002年にはギネス・ワールド・レコーズが調査した「英国史上最高のシングルは?」というアンケートで
「イマジン」(ジョン・レノン)、「ヘイジュード」(ビートルズ)を抑えて「ボヘミアン・ラプソディ」が第1位となり
イギリスで最も愛される曲に認定されたのでした。<wikipedia参照>
To Be Continued